2018年10月07日号 01面

5年後の2023年に東海地区で第7回日本伝道会議が開かれるのを見据え、「東海を知る」をテーマに「JEA(日本福音同盟)宣教フォーラム@東海」(同実行委員会、JEA宣教委員会)が9月24、25日、愛知県名古屋市中村区名駅の在日大韓基督教会名古屋教会で開催された。初日のオープニングでは廣瀬薫氏(JEA理事長)の挨拶の後、長年、東海地区で伝道牧会をしてきた内村撒母耳(さむえる)氏(アッセンブリー・名古屋神召キリスト教会牧師)、河野勇一氏(バプ教会連合・緑バプテスト・キリスト教会牧師)が「東海地域の歴史・東海地域宣教協力の歴史」について語った。【中田 朗】廣瀬

廣瀬氏は23年の第7回日本伝道会議の開催地が東海地区に決定したことは、「宣教協力について学ばせていただけるチャンスだ」と期待を寄せる。「東海地域は教会協力の先進的な地域だと聞いている。東海地域には歴史とポテンシャルがある。東海地域から主の祝福が全体に広がっていくことを願っている」と挨拶した。
続いて、内村氏が東海地区の宣教協力の歴史について語った。1955年から宣教師と一緒に名古屋で開拓伝道を始めた内村氏は、「名古屋キリスト教協議会(NCC)」に加盟した。NCCは日本を縦断して伝道する伝道者スタンレー・ジョーンズの活動の受け皿として51年に立ち上がった超教派のグループだ。内村氏はNCCの印象をこう語る。「日本基督教団の先生が多かったが、私が名古屋で伝道をすることを大歓迎してくれた。『あなた方がやってくれるのはありがたい。しっかりやりなさい』と励ましてくれた。名古屋に教会が増えることを願う、懐の深い先生方が初期の頃、伝道していたのだと分かった」内村
また初期の頃、「私を含む4人の先生方で祈り会を始め、同じ名古屋で伝道している者同士祈っていこうという働きがあった」と明かす。その祈りから、大衆伝道者のT・L・オズボーン氏を招いての大会や本田弘慈氏による10日間の集会が行われることになった。だが、「一生懸命努力したが、思うような成果は挙げられなかった」と言う。「立派な先生が来てくれたのに二度失敗した。名古屋は東京と大阪の間の“福音の谷間”と言われていたが、そう言われても仕方がなかった」
それでも、これらの集会を通し、後にキリスト教界のリーダーとなる器が救われたと言う。「数は少なかったかもしれないが、協力伝道の中で聖霊が働き、神様が魂を救ってくださった」と語った。河野
河野氏は、「75年のリバイバル・クルセード、80年のレイトン・フォード博士を講師とするビリー・グラハム国際大会の働きの中でそれ以降続いている大きな遺産が残された」と指摘する。「大きな大会を通して地域ごとに牧師会、祈祷会が始まっていった。87年には第一回東海宣教会議が開かれ、この会議は日本伝道会議と同じペースで、6回にわたり行われてきた。89年には地域の福音派の交わりの機関として東海福音フェローシップ(TEF)が発足した」
このTEFによって変化が起こったと指摘する。「その一つが、東海地域は宣教の後進地域だと自覚するようになったこと。岐阜、愛知、三重は2万人に1教会しかなく、全国平均よりはるかに教会が少ない。この地域は、関東、関西のようにやってもダメ。お金と人材を投じて大きな集会をするよりも、もっと教会数を増やす地道な働きをしなければならない、日常的な教会活動を現実的に協力するという意識が生まれてきた」
その一つが、コミットメントのレベルを意識した活動をすることだと言う。▽レベル1=コミットメントをほとんど求めない。定期的に集まり、人間関係を作って、この地域のことを分かち合い、知り合う。例えば、地域牧師会、祈祷会、名古屋朝祷界、福音主義神学会、地域での市民クリスマスやイースターなど。▽レベル2=一つの目的に賛同して活動するもの。例えば、東海福音放送協力会、東海聖化交友会、TEF地震対策委員会など。▽レベル3=教会の立場が一致しないとできないレベル。例えば東海聖書神学塾。オープニング
「東海聖書神学塾は、この地域から献身者を生み、神学生を育てようとの思いが結集して始まった。当時の牧師たちは、私を含め多くは外部から来た者。しかし、この地域の献身者をこの地域で育て、その人がこの地域に伝道していく。このことが浸透してきている」
「TEFが中心になって、この地域でしてきたゆるやかな交わり、交流がもたらしたものは大きい。しかし、新しい方向を見つけなければいけない時期にも来ている。新しい協力関係を見つけていかなければいけない」とも語った。
その他、各地域の牧師会の牧師らによるパネルディスカッション、若者セッションMission&U(会場・キリスト聖書学校)、分科会などが行われた。(次号に続く)