2018年10月21日号 01面

 沖縄県宜野湾市にある沖縄バプテスト連盟普天間バプテスト教会附属緑ヶ丘保育園は、キリスト教精神を土台に、一人ひとりの個性や主体性、互いを尊重することを大事にし、50年以上にわたり、地域の保育に尽くしてきた。昨年12月、近隣の米軍ヘリからと思われる「落下物」事件が発生。保護者らは危機感を強め、嘆願活動を続けている。宜野湾市長選、沖縄県知事選から一夜明けた10月1日、保護者と園長の神谷武宏さんに思いを聞いた(一部10月14日号既報)。【高橋良知

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写真=左から神谷さん、宮城さん、知念さん。普天間バプテスト教会礼拝堂で

 キリスト教精神土台に よく聞き、考える教育

 選挙から一夜明けた1日。在日米軍普天間飛行場(普天間基地)は静かだった。基地入口から直線で300メートルほどの住宅街の中に、緑ヶ丘保育園がある。小高い丘の上にあり、1階が園舎、2階が礼拝堂だ。夕方、子どもたちが遊ぶ声がにぎやかに響いていた。

   「1歳から5歳までの子たちみんなで遊び、生活の中で、年齢が上の子が下の子にどう力加減したらいいか、自分の力がどう影響を及ぼすか身につけていきます」と神谷さん。「考えることを大事にしています。そのためにはよく聞くこと、よく自分の意思を伝えることが必要。絵本の読み聞かせを一日に何回かやっている。年長の子には自分で読み聞かせができるようにします」

 毎週1回の礼拝では子どもたちが司会を担当。毎月暗唱聖句を覚える。毎日帰る時間には、子どもたちが当番で祈る。

 1958年に創立された普天間バプテスト教会の付属保育園として64年に開園した。「教会堂隣の100坪の土地を園庭にして、子どもたちが安全に遊べる場を提供したました」

 ところが、その安全が脅かされたのが、昨年12月7日の「事故」だ。

「ドーン」と音がして

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写真=保育園園舎の屋根に「落下物」があった

 朝10時過ぎ、「ドーン」という音とともに、園舎のトタン屋根の上に円筒状の物体が落下した。保育士は、屋根の上で跳ねた物体を見た。子どもたちも「わーっと」声を上げた。園庭では2、3歳の子どもたちが遊び、屋根の下には、クリスマスの劇を練習していた1歳児たちがいた。

 保育園向かいの公民館に県が設置している米軍機を観察するためのカメラには、事件発生時に米軍のヘリが飛んでいたことが確認されている。また「ドーン」という音声も集音されていた。

 米軍は物体を米軍のものと認めたが、ヘリからの落下は認めなかった。「今回の物体は払い下げなどで出回っているものではなく、一般人が入手できない。落下していないというのならば、どこから出てきたのか」と神谷さんは疑問視する。

生活、命の問題として

 年長の娘を預けていた宮城智子さんは保育園からのラインメールに目を疑った。「テレビのニュースでは、宜野湾市の保育園と報じられ、まさか我が子のいる保育園だとは思わなかった」と言う。しかしテレビに映ったのは見慣れた近所の景色。「怖さがあった。何をしたらいいか分かりませんでした」。知念涼子さんは、仕事中にメールを受け取った。ニュースで映像を見て、メールを見直した。「けがはない」という知らせに、2人はひとまず安心した。

 宮城さんは、だんだんと不安が募ってきた。「もし落下物が子どもに当たっていたら? 怖い思いがふくらみ、涙がとまりませんでした」。昼頃に保育園へ迎えに行くと、子どもたちの普段通りの笑顔にほっとした。「報道陣から離れ、ひそひそと保護者どうしで話していたが、あとですごく反省した。もっと声を上げるべきでした」

 すでにライン上では、保護者たちの声が飛び交っていた。「怖かった」「無事で良かった」「何かしないとね」…

 事件発生翌日にもヘリやオスプレイが保育園上空を飛んでいた。3日後には緊急の父母会が開かれた。「すんなりと署名、嘆願をやる方向になった。でも誰もそのような活動をしたことがない。事故についての思いを、保護者がそれぞれA4の1枚に書き綴ったことを覚えています」

 ところが、一週間後、近隣の市立普天間第二小学校にヘリの窓枠が落下した。宮城さんの子どもは当時同小の6年生。「子どもは病気で休んでいたので、病院でラインの知らせにびっくりした。また落ちた。信じられない。もしかして『どっきり番組』なのでは? 怖さ、怒り、もどかしさ、いろんな思いに涙しました」

 基地の町という現実を再認識した。「私が子どものころから基地があるのは当たり前。『うるさいな』と思うくらいで気にしなかった。今回我が子のことになり、基地が命の危険と隣合わせなのだと分かって、衝撃でした」

 知念さんは、事故から数日後に3歳の息子が話した言葉が忘れられない。「夜中9時ころに飛行機の音がして、その音を聞いて、子どもが『ドーンが来ている』と言ったんです。それを聞いて『ゆるせん』と思った。3歳の子に、『ドーン』という記憶を植えつけたことに。そのとき心に火がつきました」

 神谷さんは「その後、子どもたちの様子に変わったそぶりはない。先生たちが話し、理解はしたようだ。ただ『らっかぶつ』という言葉は覚えたようです」と話した。

 父母会は嘆願活動で市、県、米国領事館、国の省庁などを訪ねた。「どこか前向きな回答があるのではと期待していた。ところが、どこでも、返ってきたのは『問い合わせます』など機械的な回答ばかり。聞く耳をもたない」と知念さんは述べた。

 「米軍が認めない」と報道されてから、保育園には電話やメールで誹謗中傷が届いた。「でも、それ以上に多くの方の応援があった」と宮城さんは言う。署名は、最終的に14万筆集まった。また全国からの手紙に励まされた。「私たちの背後には、たくさんの人がいる。励ましてくださる人がいる」と感謝した。

 一方「第二小学校の方では声を上げづらい雰囲気」だという。保護者間では自主的に話し合う会など開いている。「政治的になると学校も、教育委員会も話をしづらいようだ。これは政治的な問題以上に、私たちの生活、命の問題。ただ避難するということでは、根本の解決にならない」と神谷さんは考えている。

 米軍は外務省との取り決めで、普天間基地発着軍用機の飛行ルートを決めている。ルートでは第二小学校や保育園上空を飛ばないことになっている。だが「現在まで、ほぼ毎日軍用機が上空を飛んでいる。ただ選挙期間中はなぜか飛んでいなかった。疑問をもたざるえない」と不信感を募らせた。