映画「ガンジスに還る」ーー聖地バラナシで死を待つ父子の機微と解脱への切望
ヒマラヤ山脈の南麓ガンゴートリー氷河を水源とするガンジス。“母なる河”“聖なる河”とインドの人々に敬われている大河。作家・遠藤周作がテーマとしていた「日本人とキリスト教」の最終章とも評される後期の代表作『深い河』(1993年刊)や三島由紀夫の遺作『豊饒の海 第3巻・暁の寺』などの舞台になり、ミュージシャン長渕剛の「ガンジス」に歌われるなど日本ともつながりが深い。本作は、人種、宗派を問わずインドの人々から“母なる河”“聖なる河”として敬われ、人生の終着駅ともいえるガンジス河河畔にある聖地バラナシで死を待つ人の家(原題:ムクティ・バワン=解脱の家)に身を寄せた父子の心の機微をとおして、どのように幸福な最期を迎えることができるのか、自分の死期を悟った人を家族はどのように受け止めて看取るのか、と誰にでも訪れる“死”というテーマを、情景豊かにユーモアを織り込みながら描いている。
人々の死を描くことで描か
れる生のたくましさ哀しさ
物語は、かつて教師を務めていたダヤ(ラリット・ベヘル)が、ある日不思議な夢を見て自分の死期を悟ったことから始まる。すでに妻は先立ち、息子ラジーブ(アディル・フセイン)は会社の中間管理職に就いていて妻ラタ(ギータンジャリ・クルカルニ)と孫娘スニタ(パロミ・ゴーシュ)の家族4人暮らし。死期の訪れを感じたダヤは、家族に「明日は牝牛を寄進し、明後日はバラナシに行く」と宣言する。バラナシは大小3000を超すヒンドゥー教の寺院が建つ最大の聖地。ヒンドゥー教徒には、バラナシで死を迎えてこの世での煩悩や輪廻から解脱し、火葬された遺体の灰を母なるガンジス河に還されることが最高の名誉と信仰されている。
新世代のラジーブは仕事人間。会社でもその働きぶりは信頼されていて、父ダヤに付き添うため半月ほどの休暇を取ったが上司には嫌な顔をされる。バラナシに着き「解脱の家」の施設長ミシュラ(アニル・ラストーギー)から宿泊施設での過ごし方や施設を案内される父子。ダヤは日が昇るとガンジス河で沐浴して祈り、死を迎える準備の日々を送る。「解脱の家」に投宿できるのは最大15日とされているのに、別室のヴィムラ(ナブニンドラ・ベヘル)はこの施設で暮らして18年になるという。街に目をやれば、毎日たくさんの人が亡くなり葬儀社の人たちに担がれた遺体が神の名を唱えながら河岸に運ばれあちらこちらで火葬の火炎が立ち上っている。生きることにたくましい現実と安寧な死と解脱を願って集まる人たちとその家族。ラジーブには、この街の情景や周囲の人たちにもなかなか馴染めない。
ダヤの食事や洗濯など日々の世話をしているラジーブに、会社から毎日電話が入り仕事の処理にも忙しない。ダヤは、そのことに苛立ちを隠さない。今まで家族と暮らしていたが、互いに向き合って心のうちを語り合うことなかった父と息子。次第に互いの想いを分かり合おうとしつつあるのだが…。
自分らしさを求め家族と向き
合える最期の場所を得る幸福感
ガンジス河の雄大さと河岸の聖地バラナシで死を待つ人々と亡くなった人を葬送する忙しない様相。死がビジネス化され観光客も多い街のありさまに“聖地”という言葉の静謐さはない。ただ死の現実をシリアスに描きながら、ダヤとラジーブや周囲の人たちとの会話の妙味に生きていることの哀しみしなやかなたくましさがユーモラスに語られている。 【遠山清一】
監督:シュバシシュ・ブティヤニ 2016年/インド/ヒンディー語/99分/原題:Mukti Bhawan、英題:Hotel Salvation 配給:ビターズ・エンド 2018年10月27日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://www.bitters.co.jp/ganges/
Facebook https://www.facebook.com/ganges.movie/
*AWARD*
2016年:ヴェネチア国際映画祭エンリコ・フルキニョーニ賞受賞。ユネスコガンディーメダル受賞。 2017年:ニューヨーク・インド映画祭主演男優賞(アディル・ フセイン)受賞。シュトゥットガルト・インド映画祭観客賞受賞ほか多数。