2018年12月02日号 01面

世界中のすべての人へ母語による聖書を提供することを目標に活動する日本ウィクリフ聖書翻訳協会(松丸嘉也総主事)が、今年設立50年を迎えた。11月10日には、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センターで感謝会を開いた。“Go on an Unexpected Journey”(予期せぬ旅路)のテーマのもと、賛美や祈り、証し、メッセージとともに、50年を振り返りつつ、世界情勢、教会の状況が変化する現代の中で、働きを進める新たな献身への決意が語られた。。【高橋良知】

集会では日本ウィクリフ委員会委員長の大村裕康氏(倉敷聖約キリスト教会牧師)があいさつ。ピリピ2章13節を引用して、神様が志を立てさせて、今日までの働きを立ち上げたと語った。
世界ウィクリフ同盟から総主事のカーク・フランクリン氏が来日。「ウィクリフ本部へ忍耐強く手紙を書いた一人の日本の学生の祈りによって、世界のウィクリフが変わった。ウィクリフが欧米以外に担い手を持つようになったのは日本が初めて。日本の教会のさまざまな祈りと支援で、日本人によって、世界に福音が届けられている」と話した。同アジア太平洋州地区総主事のサイモン・ワン氏やウィクリフと連携して言語翻訳に従事するNGO、SIL総主事のミシェル・ケンモーニ氏も「世界にウィクリフの働きが広がったのは日本のおかげ。共に神様の大宣教命令に応えたい」と述べた。
ネパールでカリン語旧新約聖書翻訳に携わった鳥羽季義・イングリット宣教師夫妻に松丸総主事がインタビューした。聖書翻訳への関心については、「日本ではヘボン宣教師らが日本語に翻訳をしてくれたおかげで、私も聖書を読んで神様を信じることができた。まだ自分たちの言語で、このメッセージを聞いたことがない人がいたら、その人のために遣わされたいと祈った」(季義)、「14歳から聖書翻訳に関わりたいと思っていたが、大学を出て米国で教師をしていた。しかし、祈っていなかったため教師の仕事がうまくいかなかった。どこで間違ったのかと再び聖書を読み直し、祈った。夫からウィクリフのことを知りらされ、夏期言語学講座に参加した」(イングリット)。
翻訳で印象に残っていることについては、「新約聖書の翻訳が終わった時、カリン族の人たちが、(マタイの福音書にある)最初の系図に関心を示し、旧約聖書を読みたいと語った。私たちの計画していないことだったが、人々の求めから新旧約全巻の翻訳に導かれた」(季義)、「今でもカリン族の人と共に祈り、歌い、歩いたことが楽しい思い出」(イングリット)。DSC06918
次の世代に伝えたいこととして、「神様の言葉はすばらしい。私を変えてくれたこの感動を世界に分かち合おう。ぜひ出かけてください。ネパールに立つだけでも感動する。感動が一時的でなく続くのが神の言葉である聖書。すごい感動があると伝えてほしい」(季義)、「翻訳を一度も嫌だなと思ったことはない。言葉には、いつまでも興味がわく。神のみことばを訳すことは面白い。聖書を読んだカリンの人が変えられてクリスチャンとなり、元気になっていることを見るのが素晴らしい」(イングリット)と話した。
日本ウィクリフ聖書翻訳協会が始まったきっかけは、ウィクリフの働きに関心を持っていた当時高校生の福田崇氏(現世界ウィクリフ同盟霊的大使)の働き。米国の本部から宣教ニュースをもらい翻訳し、「聖書翻訳」誌を発行した。聖書翻訳の志のあった鳥羽季義氏と出会い、鳥羽氏の支援のために聖書翻訳協会を設立。1968年に日本ウィクリフ聖書翻訳協会となった。
福田氏は、集会の祈りの中で「働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵み」(Ⅰコリント15・10)を引用して、スタッフ、日本の教会の支援への感謝とともに、「神の恵み」を強調した。
賛美リードは、午前は賛美グループLYREの塚田献さん、午後は横山大輔・和子夫妻。大輔さんがリードし、「主の恵みはとこしえまで」を、多言語(インドネシア語、アルネ語[インドネシア]、バーリッグ語[フィリピン]、ネパール語、ピジン語[パプアニューギニア])で歌う場面もあった。
メッセージはオーストラリアのウィクリフ聖書翻訳協会からマックス・サール宣教師。使徒1章8節から語り、異文化宣教の課題と神への信頼について勧めた。
まず移民、多文化・多言語、ナショナリズム、都市化、英語の普及、西欧での教会の減少、多様な聖書翻訳団体など世界の課題を概観。変わらないこととして、自分たちが理解できることばで福音を聞くことができない人たちがいること、聖書翻訳を志す聖霊に満たされたクリスチャンたちがいること、大宣教命令があることを確認した。
「多くのクリスチャンは、神様が与えられた賜物を十分に用いていない。安全策としてタラントを地中に埋めていないか。世界の情勢、日本の課題がどうあろうと、信仰においては決して慎重であってはならない」と語った。 「イエスは安全策をとる人に厳しい態度を示した」として、ルカ14章16〜24節を引用。
異文化宣教に踏み出す妨げとして、財産と人間関係を挙げた。「パプアニューギニアに派遣される前は、子どもの教育が心配だった。神様は祈りに答え、素晴らしい教育の機会を与えてくれた。イエス様は家族に思いやりを持つ。母マリアを愛し、晩年を心配した。しかし神様は家族への責任についても、『私に任せることができるか』と聞く。私自身の予期せぬ事故による大怪我のために宣教地から一時帰国を余儀なくされた時、父の病状が悪化したが、父との最後の1年を過ごせた。神様を第一にする時、私たちの想像を超える祝福があります」
「神様の使命をためらう理由は何か。安全地帯にいると思ったら、実は(出て行けない)監獄にいるのかもしれない。傍観するだけではいけない。召命を受け、従順であれば、どんなことも可能。神様を大きく考えてほしい。大きな夢、大きな祈り、大きな可能性がある。安全地帯から出なさい、予期せぬ旅路に出なさい。そこから次の50年が始まる」と勧めた。