明治150年 明治近代化 銅山開発の光と影の下で 受け継いできた宣教の灯
かつて銅山の町として栄えた栃木県の足尾町。銅山最盛期の1916(大正5)年には、この町に3万8千428人がおり、県内では宇都宮市に次ぐ人口の多い町だった。だが、1973(昭和48)年に銅山閉山後、急速に過疎化が進み、現在は千909人と2千人を下回っている。また足尾町の銅山開発は、明治期の日本の近代化の一翼を担うという光の部分と、足尾鉱毒事件を引き起こすという影の部分を持つ。そんな足尾町に明治期、多数の宣教師や牧師が訪れ、鉱山労働者に福音を伝えてきた。その一つの実が110年前、グリン・ビビアン・マイナーズ・ミッション(GVMM)の支援を受けて建てられた足尾キリスト教会の教会堂だ。ここはイギリス人宣教師M・A・バーネットが創設した福音伝道教団の源流でもある。足尾キリスト教会の岡部敬牧師に話を聞くとともに、足尾の町を案内してもらった。
11月の終わり、記者は桐生駅からわたらせ渓谷鉄道に乗り、一路目的地の足尾町に向かった。山間を悠然と流れる渡良瀬川、盛りを過ぎたがまだまだ見頃の紅葉を車窓から眺めながらの鉄道旅だ。奥へ奥へと進むたびに山肌が目前に迫り、空がどんどん狭まって来る。
列車に乗ってから約1時間半、目的の通洞(つうどう)駅へ到着。こんな山奥に、かつて銅の採掘の仕事をする労働者にあふれ活気に満ちた町があったとはとても思えないほど、閑散としていた。(12月23、30日合併号で詳細)