日本福音主義神学会西部部会 秋季研究会議 宗教改革500年全国研究会議の提議に応答 今日の教会に問うイエスの母マリア理解 「キリストのみ」と改革者らは拒否したが…  キリスト教信仰の「女性性」考える 敬虔の多様性から意味を再評価

日本福音主義神学会西部部会の2018年度秋季研究会議が11月19日、神戸市中央区の神戸ルーテル神学校を会場に行われ、研究者や牧師、神学生など約80人が集まった。
今回のテーマは「今日の教会に問うイエスの母マリア理解」。前年の同学会全国研究会での宗教改革500年を覚えたディスカッションの中で、プロテスタント教会に対する問題提議として「イエスの母マリアをプロテスタント教会はどのように神学的に理解するのか」というテーマが投げかけられたことに応答したもの。この日の研究会議では、その発議をした藤原淳賀氏(青山学院大学教授、恵約宣教教会牧師)も東京から駆けつけ、議論を見守った。
冒頭の開会礼拝では、コーディネーターの一人である正木牧人氏(神戸ルーテル神学校校長、日本福音主義神学会全国理事長、伊丹福音ルーテル教会牧師)が奨励に立った。知人にカトリックとプロテスタントの違いを説明した際に「要するに、マリアさまがいるかどうかということか」とまとめられたエピソードを紹介して、このテーマがもつ意義への関心を呼び起こした後、マリアに対する人間論的関心、救済論的関心、宣教論的関心に焦点を当てることを提案。さらにルターのマリア理解の一典型を示すものとして、彼のマグニフィカートの説教を紹介した。
続いて橋本昭夫氏(神戸ルーテル神学校教授) による基調講演「福音主義神学からマリア論を考える」。まず「危急の時に助けを呼び求めうる対象」「キリストへの特別の執り成し手」「キリストの贖いのわざの協力者」「天上の女王」といった、ローマ・カトリック教会の神学と敬虔に多大な位置を占めているマリアへの信仰を、宗教改革者たちが「キリストのみ」を福音とする神学的立場から徹底的に拒絶したことを背景としつつも、フェミニズム神学やエキュメニズムなど、さまざまな立場からの問題提起を受けて、近年マリア論に改めて関心が高まっていることを紹介。その上で、「マリア信仰」と呼ばれるものを軸とする敬虔の多様性を正当に受け止め、マリアの意味を福音主義的に「再評価」する必要性を提示して、問題設定とした。DSCN0268
さらに、新約聖書におけるマリアについての記述、教父たちや東西教会におけるマリア理解と種々の教理の成立、宗教改革者たちやその後のプロテスタント教会におけるマリア理解を歴史神学的に概観し、民間信仰的マリア論がもたらしたものについて論じた。その上で、民衆の信仰が教理に及ぼす影響をどのように取り扱うべきか、また、キリスト教信仰における「女性性」をどのように考えるべきか、と問いかけ、マリアを信仰のモデルとして位置づけることがプロテスタント的マリア論を促す契機となるのではと締めくくった。
プログラム後半は、主題についてのパネル・ディスカッション。まず歴史神学の立場から大庭貴宣氏(キリスト聖書神学校准教授、北四日市キリスト教会牧師)が、中世教会における無原罪の宿りの教理の発展と仲介者としてのマリアの位置づけ、エジプトの女神イシス信仰との類似性、「神の母」論争の問題などを発題した。
次に、組織神学の立場から瀧浦滋氏(神戸神学館代表、岡本契約教会牧師)が、プロテスタントの立場からマリアが神学的対象になりうるのか否かと問いかけ、キリスト信仰への注視をそらす視点は排除されるべきとした上で、崇敬と崇拝との違いを整理し、実践的な立場から着目すべきと訴えた。
続いて聖書神学の立場から南野浩則氏(福音聖書神学校教務、MB石橋キリスト教会副牧師)が、新約聖書におけるマリアに関する記述を、「家族としての母マリア」「弟子としてのマリア」「受難者としてのマリア」「宣教者としてのマリア」と四つに分類し、それらの少ない記述を受けて、啓示論の立場からマリア論の構築は可能であるのかと問うた。
これらの発題を受け、橋本氏も加わった4氏で、会場からの質疑応答も受けつつ議論を展開。カトリックからプロテスタントへ改宗する際の神学的裏付けの必要性、民間信仰との関わり、ジェンダー的視点をどう受け止めるかなどが論議された。DSCN0252
最後に、コーディネーター長の坂井純人氏(神戸神学館教師、東須磨教会牧師)が全体を総括。カトリックとプロテスタントのマリア論理解の異同を確認し、さらにイエスの母としてのマリアの存在の固有の意義とともに、キリストにある信仰の恵みを通してキリストの兄弟姉妹、弟子、宣教の友ともされたわれわれとの共通性が語られた。そして、この点において、みことばを宿し、キリストに仕えるマリアの信仰の生涯は、信仰者のキリストに対する姿勢の原点、普遍的意義を示しているとして、この日の研究会をまとめた。
(関西編集室・山口暁生)

水子供養における赦しと癒しなども

分科会では三つのグループに分かれた。取り上げられたテーマは、実践神学分野として「水子供養における赦しと癒し|キリスト教との類似性」「無牧の教会におけるサポートシステム」、聖書神学・組織神学分野として「ヘブル語動詞(住む、座る、留まる)とヘブル語名詞(御顔)の語句に関する考察を中心にして」「内部の戦いではなく、集団間の選択|ガラテヤ5・16〜26解釈の提示」「ジョン・オーウェンの正統主義に基づいた経験的な聖化論」、歴史神学分野として「スカンジナビアン・パイエティ|スウェーデンを中心とする19世紀の敬虔主義的リバイバルの霊的文脈の研究」「日本的キリスト教についての一考察|みくに運動の今泉源吉を中心として」「高倉徳太郎の教会観の形成と展開|『福音的キリスト教』を起点とした一考察」。
実践神学には部屋に入りきれないほどの聴衆が詰めかけるなど注目を集めたほか、それぞれ意欲的な発表と問題提起がなされた。