2月17日号紙面:教会でファッションショー 関係作り、弟子作りを活動の柱に 函館シオン教会
2019年02月17日号 08面
昨年10月、北海道函館市の教会でファッションショーが開催された。場所は日本フォースクエア教団・函館シオン教会。幕末に開港し、プロテスタント、カトリック、正教会と「教会のある町」として異国情緒漂う港町ならでは、とも思うが、それでもやはり異色の取り合わせ。そんな活動を通してどのような教会形成を目指しているのか、牧師の増井義明氏に話を聞いた。【髙橋昌彦】
─そもそも、どのようにして出てきたアイデアですか。
教会の婦人たちから出てきたものです。私からの「未信者を誘えるようなイベントをしたいのだけれど」という問いかけに婦人たちからの提案は、50人のクリスチャンでない知人が参加することを目標としてファッションショーを行う、というものでした。テーマは「偉大なデザイナーのファッションショー」「作品はモデル」というものでした。教会に美容関係のお仕事をしている方もいらしたので、その方に相談したら「今の人は目が肥えているから、学芸会レベルでは、来てもすぐ帰ってしまうだろう」と言われて、かなり本格的にやりました。会堂をすべて暗幕で囲って、照明を入れ、中央にランウェイを作り、両端に人が座るようにして。「パリコレ」とかで見るやつですね。
─モデルさんは?
もちろん、企画をした婦人たちです。60代から90代の方まで。実際に服を着て歩きますが、ただ服を見せるだけではなくて、神の作品である自分たちの証しをナレーションが語るのです。教会にはどういう人がいるのかも知ってもらい、途中で、実際にメイクの指導もありました。「こうすると綺麗に見える」とか。全体で1時間くらいですね。
─照明や音響など、当日の運営は?
裏方はすべて若い人たちがやりました。ショーの前に流す映像もファッションショーを盛り上げます。彼らは普段、自分たちの礼拝で照明を使っているので、その担当者がリハーサルから当日までやりました。彼らにすれば、裏方の仕事はすべて自分たちがやって、前に出るのは婦人たち。婦人たちがやろうとしていることをいかに際立たせることができるか、普段培ってきたものでサポートする、ということだったと思います。
─若い人たちにそういう意識がある?
若者たちは自分たちのイベントの時に、婦人たちからとても支援を受けています、資金的にも。機材の購入など、教会だけではできなかった時に、婦人たちが「それが伝道につながるなら自分たちも援助しよう」と言って助けてくださるんです。私も若い人たちには、「君たちのイベントは、教会や婦人たちの助けがあるからできている、いつも考えてくれている人たちがいる」といつも言っています。
─世代を超えてつながりを工夫しているのですね。
朝と夜で礼拝は別々、部屋も違っていますが、一つの教会であることを忘れてはいけない。自分たちが成長することは教会が成長することだ、と。私の役割は、ついつい分かれてしまいがちな両者をつなぐことでしょうか。互いに常に感謝するように。イベントができたときは、感謝の言葉を一言でいいから婦人たちに伝えてほしい、こういうイベントをして、こういう人が来た、こういうことができた、とお互いに喜び合えるような関係ですね。今回は青年でなく婦人のイベントでしたが、婦人のイベントというのはおそらく私たちの教会として初めてだと思います。
─どういう方が来られたのですか。反応は?
ほとんどが、このショーを企画した婦人たちのお知り合い、関係の方ですね。ショーの後は口々に、「すごく楽しかった」「素敵だった」とおっしゃってくださいました。「またあればぜひ来たい」と。実際12月のクリスマス礼拝には、何人かの方が来てくださったんですよ。
─イベントは教会の活動で大きな位置を占めているのでしょうか。
一時期対外的なイベントをいっさいやめていたことがあります。2008年から主任牧師を務めていますが、年に2回大きなイベントを開催していました。ゴスペルコンサートとクリスマス。函館市芸術ホールに700人くらい集めていました。でもイベントには大勢人が来ますが、礼拝にまでつながる人は少ない。そして、イベントの時と普段の時との信徒の姿勢が、何か違うような気がして。みんな人は連れてくるのですが、その人と個人的に関わろうとしない。話しかけたり、質問に答えたり、証しをしたり、どれだけ初めて来た人に関わり、彼らが理解できるように話せるか。疑問に感じました。そんな時、ある牧師に問われたのです。「あなたの教会の目的は何か。そこに行き着くための青写真を持っているか」。祈り、賛美、みことば、証しと、その時その時でいろいろなことをやっているのですが、みんなバラバラで一つになっていない。全部大切なのだけど、それがどこに向かっているのかがわかりませんでした。一度立ち止まって見よう、神様から立ち止まれ、と言われた。教会とは何なのか。自分たちはどこに向かうのか。対外的なイベントをすべてやめて、2年間、外からの言葉ではなく、祈りとみ言葉で考えました。
─どんな結論が出ましたか。
教会は人の救いにとことんこだわる、ということです。一匹の羊を追い求めるイエス様のように、教会は出て行って未信者に関わっていく存在でなければいけない。「神を愛し、人を愛する」の「人」の中には当然未信者も入っている。彼らのための教会でなければ誰のための教会なのか。そして弟子を作ること。救われて終わりでなく、救われた人が弟子を作る。私の中では4世代先を考えている。牧師がいなくなっても教会は弟子を作り続ける。自分が変わるだけでなく、変えられていく中で弟子を作るようになる。自分の足らなさ弱さを痛感する中で弟子を育てていく現場が、クリスチャンには必要ではないかと考えました。
─具体的に何を始めたのですか。
月に1回、土曜日の朝の7時くらいから、幼稚園、学校、大学、病院を回って、門の前で青年たちと一緒に祈りました。1日5か所くらい、そこにいる人たちが祝福されるように。車の中からですけれど。1年半くらい、函館中を回りました。それは、青年たちの意識を未信者に向けさせることでもあったのです。最初から伝道なんてできませんから。そうやって若い人を中心に、私たちは今何をすべきか、祈りとみ言葉の学びとともに、話していきました。そこで語ったのは、人との関係作りです。イベントをすれば人は集まりますが、神様に興味のない人たちがそこですぐに神様を信じるようになるということはまずない。日本にもかつてそういう時代はあったのでしょうが、今の時代は違うでしょう。
教会は悪くない場所と思ってくれれば、その次は来てくれた知人との関係も信仰について話しやすくなるのです。何しろ関係を持ち続けることが大切だと思います。
─若い人たちの意識は変わってきましたか。
ずい分変わりました。少しずつ課題を与えるんです。バーベキューなどのイベントで外部の人が来たら、話しかける。その時話題にできるヒントなんかも与えます。「中学校はどこですか」とか、5分くらいの証しを用意させるとか。そうやって、みんな自分から、関係作りをするようになってきました。彼らとは、自分たちが今やっていることの意味、位置付けは何か、最終的にどこへ行こうとしているのかを、いつも確認しています。
私が外部で奉仕する時は、できるだけ若い人も一緒に行って証しをしてもらいます。今まで人と話さなかった自分が、どう変わったかを。牧師が言うよりは、自分と同じ世代の人から言われたほうが、聞く側には届くようです。奉仕の場所は、東京や大阪が多いですが、彼らの交通費の一部は、婦人たちが負担してくれています。彼らはそうやって回りからの支えを実感し、教会に帰って来たらそのことを証しして、みんなで喜ぶ。そういう関係が教会の中にできてきたと思います。
─若い人が自分たちで動いていくことに不安はありませんか。
以前はあったでしょうね。「まだ訓練が足りないかな」みたいな。でも、やってみて失敗して人は育つということもあります。小学校だって、上級生が下級生の面倒を見るじゃないですか。完璧でなくても、教えさせる、やらせる。多少の失敗は受け入れる。だから十字架があるんですから。そういう文化を教会に作ったほうがいい。
─信徒がそれだけ動くとしたら、牧師の役割はどこにありますか。
環境を整えることでしょうか。いいアイデアが出ても、その活動が教会の目指す方向性を向いていなければだめです。祈り会では、自分たちのためだけではなく、人々のために、弟子を作るために祈ります。やっていることすべてが教会の目指している目的につながり、すべてが教会の流れとフィットして、教えも行事も同じ方向に向くように、気を配っています。
─これから先の教会をどのように描きますか。
もちろん今もまだ途上ですし、実践したことの検証の連続ですけれど、礼拝にはいつも未信者がいて、教会が彼らとの関係をいつでも考え、弟子を作ることが信徒のライフスタイルになっていけばいいですね。そうすれば、あとのことは神様がしてくださるでしょう。
2017年11月の“コスチューム・パーティー”で。「ハロウィーン」とは呼ばない。この時期世の中では、こういうイベントがあるのだから、それを祝うことはしなくても、その機会は活動に生かす