2019年03月17日号

3月1日に100年を迎えた「三・一運動」。韓国では各地で三・一運動を記念する集会やイベントが開催され、キリスト教諸教派・諸団体でも、各地で礼拝や集会が行われた。ソウル・貞洞(ジョンドン)第一教会で開催された「三・一運動100周年韓国教会記念礼拝」に参加した、齋藤篤氏(日基教団・深沢教会牧師)がレポートする。

写真=三・一運動100周年韓国教会記念礼拝の様子。 写真下は礼拝プログラムと独立宣言書

2019年3月1日。この一日は、朝鮮半島にアイデンティティーを持つ人々にとって、自分自身の立ち位置というものを確認する、意義のある時であったに違いない。奇しくもこの記念すべき日の前後に、韓国に滞在した私が強く抱いた印象です。

 1919年3月1日、日本による植民地支配からの独立を願った、朝鮮の33人の宗教者たちによって「独立宣言書」が朗読され、このことをきっかけに、数か月にわたって朝鮮半島全土に独立万歳の声がこだましました。最終的に日本軍によって鎮圧され、運動は終息しました。先に述べた33人の宗教者の約半数は、キリスト教教職者と信徒たちでした。

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教会が成功と成長だけに執着 してきたことへの悔い改めも

 今年は三・一運動から100周年を迎える記念すべき1年であり、国をはじめとして、あらゆる地域・団体がそれぞれの主張を携えながら、3月1日のイベントを開催しました。特にソウル駅から市庁を経て光化門に至る大通りでは、実に多くのグループによって、集会が行われており、前に進むのも難しいほど多くの人々でごった返していました。

 キリスト教諸教派・諸団体でも、各地で礼拝や集会が行われました。その一つのイベントとして、ソウル・貞洞第一教会で、「三・一運動100周年韓国教会記念礼拝」がささげられました。この礼拝を主催したのは、メインライン教会諸教派で構成する「韓国キリスト教教会協議会(NCCK)」と、福音派教会諸教派で構成する「韓国教会総連合(UCCK)」でした。

 メインライン教会と福音派教会の二者が、韓国における最も歴史のあるプロテスタント教会を会場として、礼拝において一つとなる。三・一運動という出来事を思い起こすことによって「韓国教会の主にある一致」を確認することが、この礼拝の大きな目的であり、このコンセプトによって礼拝が構成され、進められていきました。私も礼拝者の一人として、この感動に満ちあふれたひと時を、出席者と共に、そして何よりも主と共に、過ごすことができました。

 礼拝説教を担当したのは、韓国キリスト教教会協議会会長のイ・ソンヒ牧師。この説教で語られたメッセージは、日本に住むクリスチャンである私にとって、大きな衝撃となりました。

  イ牧師は「三・一運動が起きた100年前、韓国におけるクリスチャン人口は、わずか国民の1・2%に過ぎなかった。少数であった、しかも宣教の歴史が浅かったにもかかわらず、日本による圧政を黙認することなく、主の与えてくださる自由と平和を信じて、非暴力的な方法で独立宣言に加わったことは、多くの国民による共感と信頼を得る出来事であった」と述べました。

  クリスチャン人口が1%を切り、宣教の困難さが叫ばれる日本において、私はこのメッセージを聴き、大いに慰められ、励まされるものであったのは言うまでもありません。韓国教会が歴史の各所各所で主の御心に生きたことは、アジアにおける有数のキリスト教大国の土台となった紛れもない根拠であり、主の祝福の何物でもないと確信しました。日本の教会も同じ祝福によって生かされたいと、強く願った次第です。

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  一方で、イ牧師はこのようにも語られました。「100年前の教会は、現在の韓国教会とは比べものにならないほど、信頼されていたものであった」。説教に先立ってささげられた祈りでは、「韓国の教会は成功と成長だけに執着するあまり、バアルの神を崇拝し、真の神を崇拝することを放棄した」ことが懺悔されました。

  キリスト教が韓国における主要宗教の一つとなった裏返しとして、そのような反省と悔い改めが礼拝で明らかにされたことにも、私は大きな感動を覚えました。教会がこの世で果たすべき本質を、100年前に戻り主の御心に立って果たそうとするならば、韓国教会は一致して歩むことができるのだという熱意を、礼拝全体を通して受け取ることができました。成功と成長だけが「神」とならないように、私もまた悔い改める機会が与えられたのは感謝なことでした。

  説教後には、生活を取り巻く様々なテーマにもとづいて、とりなしの祈りがささげられました。その一つに「朝鮮半島の平和」を願い、祈る一幕があったのは、大変印象的でした。折しもこの週には、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による首脳会談が行われました。結果として朝鮮戦争の終結宣言には至りませんでしたが、だからこそ、朝鮮における一致を神へ願う祈りは、情熱に満ちあふれたものでした。

 礼拝で読まれた「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか」(ルカ24・32)の御言葉どおり、復活の主に出会い、3月1日から出発する日々を歩みたいと心熱くさせられた一日でした。