2019年04月14日号

日本ホーリネス教団(島津吉成教団委員長)は、第56回教団総会で教団創立年を1901年から1949年に変更することを決議した(3月31日号で既報)。それを受け、第71年会において、97年に同教団が表明した「戦責告白」以降の取り組みの中で、今回の創立年変更決議に至る契機となる問題を指摘した基督兄弟団(兄弟団)関係者を招き、3月26日に年会講演と聖会を行った。【髙橋昌彦】

1901年は日本におけるホーリネス系の源流である中田重治が宣教を開始した年。その働きは、36年に中田監督派と車田秋次(戦後、日本ホーリネス教団を創立)ら委員会派に分裂、互いに「ホーリネス」の名称を使用しないことなどを申し合わせた「和協分離」が成立した。現在の日本ホーリネス教団が97年に「戦責告白」を出し、治安維持法下の42年に起こったホーリネス弾圧事件の際にホーリネス系他教会を切り捨てた事実を謝罪し、和解に取り組む中、きよめ教会の流れをくむ兄弟団から教団名称に関し「和協分離」の約束違反が指摘されていた。
これは名称問題にとどまらず、それまで1901年を教団創立年としていた同教団の、ホーリネス系教会における「主流意識・本流意識」が問われることとなり、先の総会で、教団創立年を戦後日本基督教団から離脱した1949年に変更、名称に関しては現名称を変更しないものの、「覚書違反をしているという罪責を負い」「内にある主流意識と向き合い続けていく」と表明した。
年会講演の講演者には兄弟団元理事長の長内和賴氏(大和教会牧師)が、聖会の説教者には現理事長の小平牧生氏(西宮教会牧師)が立った。
長内氏はまず「ホーリネス教団が、過去の検証、和解に取り組んでいることに感銘を覚えている」とした上で、兄弟団の歴史に触れた。1939年にできた「きよめ教会」の綱領に「国策に順応」「八紘一宇の達成」「神国の実現を祈る」などの文言があり、礼拝のたびに唱えていたことを挙げ、戦後の兄弟団は「これを継承しないことを決めた」。「和協分離」の契機となった、中田が唱えた「日本民族の使命」は聖書的根拠が薄弱で、福音の本筋ではない。「時の権力に迎合したのは、我々も同じ。その『きよめ』とは何なのかと問われてもしかたがない」。また、中田から離れた人をかつて「分離派」と呼び、兄弟団の中にも「自分たち中田に従う者こそ『本流』、という意識があった」と語った。最後に「和協分離から83年を経て、お互いの非を認めて、一致協力の時が来たということは、神の不思議な導き」と結んだ。
小平氏は、ピリピ1章から「最初の日から今日まで、そしてキリストの日が来るまでに」と題して説教。2001年の「中田重治宣教100年」、17年の「ホーリネス100周年」を挙げ、「我々も最初の日を共有している」。和協分離の根底には「私たちの罪の醜さがあるように思う」とし、戦時下に国家神道体制に加担していった事実に触れながら、「それにもかかわらず、今日を迎えているのはただ主の恵み。それは、キリストの日までに果たすべき務めを与えられているから」。
やがて来る「分離からの100年」を見据え、「その時どのような回復の姿を見せることができるかは、主からのチャレンジ」、「宣教協力の動機が、自分の教団教会の成長にあるのなら、それこそ私たちの『きよめ』が問われる」。そして、「日本の全ての人に福音が届けられるために、今までの個々の教団の歴史から、『私たちは』という新たな宣教の歴史を刻み始めることはできるだろうか」と問うた。
「宣教協力が可能になるのは、キリストの愛が満ちている時。知識とともに識別力が与えられ、それら全てをキリストの日に備えて自分を捧げ、主の日まで福音のために仕え、主が与えてくださる歴史をともに歩んで行きましょう」と結んだ。