映画「僕はイエス様が嫌い」「祈りが聞かれない」苦しみ 監督の実体験から創作

   映画「僕はイエス様が嫌い」のクリスチャン試写会が4月22日、クラフター試写室(東京都港区)で行われた。奥山大史(ひろし)監督が青山学院大学の卒業時に制作したこの映画が突然に注目を浴びるようになったのは、昨年9月に第66回サンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞したからだ。日本人としては20年ぶりの快挙だ。

 物語は、少年ユラが祖母と一緒に暮らすため、東京から雪深い地方にあるミッション系の小学校へ転校することから始まる。初めて参加する礼拝に戸惑うユラの前に、ある日小さなイエスが出現する。ユラが親友を与えてほしいと祈るとかなえてくれ、他の人には見えないイエスの力を信じるようになるのだが、やがて大きな試練が降りかかる。そして…

 「僕はイエス様が嫌い」のタイトルからすると、この映画は反キリスト教の映画か、またはイエス・キリストをからかう内容だと思うだろう。しかし、そうではない。いわるキリスト教を伝える「伝道映画」でもない。

 「この映画は僕の実体験からきています」と試写会に登壇した23歳の奥山監督は語った。映画に登場する、礼拝に初参加して戸惑う小学生、友人を亡くし、「神がいるならどうして」と思うユラの姿、葬儀で失意から祈ることもできないその友人の母親の姿は、奥山監督の実体験から生まれてきたものだ。

  事故にあった友人の回復を求めるときに、小さなイエスは現れない。「祈りは聞かれない」とユラは嘆く。そして、思い出を語る時に小さなイエスは現れた。そのときユラ少年の取った行動を、この映画を見た皆さんはどう受け取っただろうか。

 「苦しい時に、私も祈る中で、何も答えられず、主人公のユラ君と同じく『嫌い』と思うことがあります」(アンケートより)。

 エンディングでは、天国の存在を感じさせるように、天にいるイエスの着物の裾がひらめいて見える。ここで映画の初めのシーン、彼のおじいさんの行動の意味が理解できる。

  奥山監督は決して企画段階で意識していなかったそうだが、「あのマーティン・スコセッシ監督が作った『沈黙−サイレンス−』(遠藤周作原作)に通じるものがありますね」という感想をもらったという。

 映画を見終わったあとのアンケートでは、「この映画を紹介したい」が10人、「抵抗がある」「どちらともいえない」「その他」が8人で、意見が分かれた。

 エンディングロールに流れる賛美歌「主イエスとともに」が、この映画に貫く主張を感じたが、映画を見る皆様の判断にこの映画の評価をゆだねたい。

 なお、奥山監督は、洗礼を受けるそうである。(レポート・礒川道夫=いのちのことば社)

 「僕はイエス様が嫌い」は5月31日よりTOHOシネマズ日比谷ほか、全国順次ロードショー。