伊勢湾台風から60年 救援活動から始まり地域福祉へ 名古屋キリスト教社会館 理事長 湧井規子さん

写真=伊勢湾台風被害の状況

写真=教会の支援の様子

写真=礼拝や祈り会も大切にしていた

 名古屋港から東に約1・5キロ。天白川のほとりの静かな住宅街に名古屋キリスト教社会館(名古屋市南区、湧井規子理事長、3面参照)はある。海抜0メートルのこの一帯は、60年前の1

959年9月26日、伊勢湾台風によって甚大な被害を受けた地域だった。

   「貯木場から押し流された材木が、強風で縦に回転して流れ、堤防や家屋を破壊したそうです」と湧井氏は言う。名古屋港付近では11月下旬になっても床上浸水の状態が続いた。

 災害直後の28日には、日本基督教団が活動を開始。東京から日本キリスト教協議会等関係者も集まり協議し、超教派による「伊勢湾台風基督教救援本部」が立ち上がった。51年から活動が始まっていた名古屋キリスト教協議会を構成する教会、YMCA、YWCA、日本キリスト者医科連盟、キリスト教主義学校などが協力。ワールドビジョンからの支援もあった。倒壊した家屋の整理、泥出し、物資配給、炊き出し、医療活動、公衆衛生活動、子どもたちが安全に過ごせる場が求められ、託児活動・ミルクセンターを設置。「地元の人からは、『キリスト教を押し付けることなく、わけへだてなく必要な助けを与えてくれた、生きる希望が与えられた』と喜ばれた」

 この救援活動を1月末で解散すると決まった時、地元からは託児の継続や、心のよりどころとして集う場がほしいという要望があった。救援活動に対する個人からの大口の寄付や国内外の献金の有効的な活用を検討した結果、「名古屋キリスト教社会館」の設立が計画され、台風から1年後の1960年9月26日に開館。翌年1月に社会福祉法人化した。

 「当時の資料を見ると、多様な教派、団体、個人から計75人で役員構成。非常にチームワーク良くやっていたことが分かった。さらに、初代理事長の田島正人牧師は、『キリスト者の奉仕は、神様に捧げる礼拝と全く同じ』、『神に仕える謙虚をもって、しかし、神に仕える義務感をもってなされるべき』、また『富める者、高き者が、貧しき者や低きものに行う慈善事業ではない』と述べ、名古屋キリスト教社会館設立にあたっては、超教派であること、直接伝道は行わないこと、キリスト教精神による社会奉仕であること、物質的なものを無償で提供する慈善団体ではなく地域社会の文化的精神的向上に協力援助すること、と運営方針を明確に打ち出していた。当時のクリスチャンの信仰と謙虚な姿勢、賢明さにとても驚き、敬意を表した」と言う。

 保育・隣保事業から始まったが、現在は名古屋市内に6拠点をもち、乳幼児、学童、障害児、障害者、高齢者に向けた20以上の事業を展開する。「災害救援から始まった働きなので困っている人、必要な人がいれば、制度がなくても、どうすればいいかをまず考えていく」と話す。乳児保育、

障害児の統合保育などは、名古屋市でも先駆けの事業であった。「保育園児の兄弟に障害をもつ子どもがいた。そこから障害児の無認可保育事業を始め、現在の児童発達センター・障害児医療ケアの事業に発展した。

 障害を持つ子が大人になると、親も高齢化し自立の課題も出てくる。近年、社会的にも障害者は施設でなく地域で暮らす流れ。そこで日中活動の事業所やグループホームが生れ、ヘルパー派遣のホームヘルプ事業やショートステイ、相談事業等も行うに至った。地域ニーズに即して、市内では早期に高齢者デイサービス事業にも取り組んだ。まだまだ制度の穴はある。たとえば、家で洗濯できない高齢者がおり、事業所で洗濯を援助した。当初行政からは『制度にないからするな』と注意を受けたが、高齢者の暮らしの現状を伝え、認めてもらった。ほかにも、障害者の親や本人が病気になった時にも、様々な問題が浮上する」

一人ひとりとコミュニティー大事に

写真=湧井さん

 職員はクリスチャンではない人が多い。2000年に、全職員・理事、評議員で「キリスト教精神に基づく社会福祉」について話し合い、みんなが理解しあえる言葉として三つの「使命」を確認しあった。それは以下の通り。

 ①すべての人々がかけがえのない存在として人権が保障され、自立した人間として成長していける社会を築くことをめざします

 ②隣人とのであい、ふれあい、育ちあいを大切にし、ともに地域の課題を担うことを通して福祉の輪が拡がるように努めます。

 ③世界の人々との交わりを通して、福祉社会の実現のために働きます。

 その後、キリスト教精神に基づく事業を充実させるため、理事や評議員の牧師・信徒らを交えて、ミッション委員会を立ち上げた。そこから看護職を兼務するチャプレンを招聘(しょうへい)することができた。

 4月1日全体職員会と9月26日創立記念全体職員会では、礼拝を行う。月ごとには各事業所を回り、「平和と私たちの祈り会」を実施。終業後の夕方、自由参加の形で、軽食も交えて交流した後、事前に作成した月毎の祈祷文で祈り合っている。

 ほかにも名古屋キリスト教社会館福祉研究所があり、紀要を発行し、報告や考察を掲載する活動などもある。

写真=利用者とスタッフの触れ合い

 湧井さんが理念とともに大事にしているのは、「一人一人の主体性と職員集団形成」だ。「自分の実践を見つめ直す作業は一人ではできない。福祉は『コミュニケーション労働』と言われる。仕事を通して人間理解を深め、互いに学び合う職員集団形成でありたい」と話す。

 また憲法が保障する人権や福祉、「子どもの権利条約」や「障害者の権利条約」の理解を深めることも重視している。日本が福祉の市場化を進めていることへの危機感もある。「一人ひとりのいのちを尊び、主体性に基づく働きをしていきたい」と語った。

 福祉の仕事を通して現代社会の課題も見えてくる。「高齢者の一人暮らし、母子家庭の貧困など。

社会全体が孤立傾向にあると思う」と言う。名古屋キリスト教社会館では、コミュニティーを大切にする。「誰でも、やさしく、あたたかく迎えられたらうれしい。たとえば障害者の事業所が開くカフェがあり、そこで月1回高齢者の『ピーチクパーチクひばり会』が開催される。私たちは地域の高齢者をやさしくうれしくお迎えする。障害者がコーヒーや生ジュースを精いっぱいの姿でテーブルにお出しする。高齢者がその障害者の気持ちに共感し、ほめてくださる。こうして、近くで暮らし合う人たちが、様々な違いはあっても、一緒にいて心地よい時を過ごすことができる。こういう時間は幸せだなと学ばされている」

   「自立ということは、簡単なことでない」との実感もある。母子家庭の母親の就業と子育てが継続するように、他人事としないで長い目で支え続けることが必要であり、グループホーム暮らしから自立に向かう障害者のためには、理事がボランティアでアパートの一人暮らしを継続的に助けている。

 長年職員としても従事してきた湧井さんは、2015年から理事長を務めている。来年は名古屋キリスト教社会館開館60周年となる。次の世代も見据えて、「残す企画、伝える企画、楽しむ企画」をキーワードに記念事業を計画している。「ぜひ、若い人といっしょに取り組みたい。創立時の働き人の精神の深さを学び合いたい」と抱負を語った。