第25回英連邦戦没捕虜追悼礼拝で関田氏 兵士たちの献身に応え 「隔ての壁取り除く」働きに加わる

 戦時中、日本軍捕虜として日本に連行され亡くなった連合軍兵士を追悼しようと、毎月8月の第一土曜日に開かれている「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」(同実行委員会主催)の第25回目が8月3日、神奈川県横浜市保土ケ谷区の英連邦戦没者墓苑で開催。関田寛雄氏(日本基督教団牧師)がエペソ人への手紙2章14〜17節から「敵意という隔ての壁を取り除く」と題して追悼の辞を述べ、英連邦・旧連合軍代表/カナダ大使館付武官・海軍大佐のヒューギュ・カニュエル氏、同実行委員会代表の奥津隆雄氏が挨拶した。
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関田氏は、「第二次世界大戦終結50周年を記念し、深い戦争責任の自覚と共に、不戦の決意をもって永瀬隆、斉藤和明、雨宮剛の三氏により始められたこの集会が四半世紀にわたり続けて来られたのは、神の導きとともに、毎年暑い中にもかかわらず熱心にご参加くださった皆様のおかげと思い、心より感謝致します」と挨拶。一方、「和解と共生を願う私たちの思いに反し、最近は強大国の指導者により自国利益中心主義の主張が打ち出され、経済、文化、宗教の世界に対立と敵意と排除の運動を起こし、世界に大きな波紋をもたらしている。特に中近東においては、一触即発な状況であり、戦争になりかねない緊張をもたらしている。この流れはここに眠っておられる千800人余りの兵士の方々の願いを無にすることであり、私たちの願いとも相反する動きに他ならない」と危機感を表し、「私たちは兵士たちの献身に応え、『敵意という隔ての壁を取り除く』働きに加わり、今は亡きこの兵士たちとこの家族の祈りに応え続けていきたいと思います」と決意を述べた。最後に関田氏と参加者一同で、聖フランシスコの「平和の祈り」を唱和した。
ヒューギュ氏は「太平洋戦争はかつて日本と連合国を分断した。だが今日、私たちは心一つに合わせ、死者たちの命運に悲しみを寄せつつ、彼らの粘り強さを讃えます」と述べ、「戦禍の恐怖から私たちは学習し、将来の衝突を避けられるようになると望むなど、空しいことと思われるかもしれない。それでも努力が続けられなければならない。今日出席している僚友たちを代表し、私たちは国々の関係を武力を行使して壊し、歪めようとする者たちには、『決して繰り返さない』と告げるのだという理想に、日本の皆さんと共に本気で取り組みますと、申し上げる」と決意を語った。
奥津氏は今年、追悼礼拝実行委員及び追悼礼拝参加者有志9人が実際にタイを訪れ、永瀬氏の活動の足跡の一部をたどり、そのメッセージの重みをかみしめてきたと語った。「訪れた先々で見たものは多くの人たちのいのちが虐げられ、苦しめられ、尊厳を奪われ、殺されたということだった。加害国の者として申し訳なく思う。戦争とは愚かで、恐ろしく、悲惨なもの。だから『二度と戦争はしないでくれ』という永瀬さんのメッセージは重いのです」
死が支配する収容所の中で、いのちの輝きが回復し、やがて収容所全体を輝かしていくというアーネスト・ゴードン著『クワイ河収容所』の印象的な場面に触れ、「この追悼礼拝はいのちの尊厳の回復の時。これからもこの追悼礼拝を一緒に続けてまいりましょう」と語りかけた。
追悼礼拝後、関田氏、主催者、英連邦の兵士ら、参加者代表がイギリス、オーストラリア、カナダ・ニュージーランド、インド・パキスタンの墓地にある戦争捕虜たちの碑に、追悼の念を込めて花のリースを献花。献花の時にはバグパイプの演奏もあった。