9月1日号紙面:日本でキリスト教が広がらない仕組みとは? 神社は“文化”、抵抗権ない“人権” 「8・15平和祈祷会」で森島氏講演
日本でキリスト教が広がらない仕組みとは? 神社は“文化”、抵抗権ない“人権” 「8・15平和祈祷会」で森島氏講演
太平洋戦争敗戦後74年を迎えた8月15日前後、今年も各地で記念集会、関連集会が開かれた(2、6面に関連記事)。10日には「2019年8・15平和祈祷会」(日本同盟基督教団「教会と国家」委員会主催)が、東京・中野区東中野の中野教会で開かれた。森島豊氏(青山学院大学准教授・大学宗教主任)が「なぜ日本でキリスト教が広がらないのか─日本の不思議な仕組み─」と題して講演。「日本に古くからキリスト教が広がらないための宗教政策があり、敗戦後もその構造原理が残されている」とし、その仕組みを明らかにした。
「なぜキリスト教は弾圧されたのか。それは抵抗権の確立をはばむためだった」。森島氏は、そう指摘する。
「抵抗権とは、抵抗する権利のこと。キリスト教で最初に抵抗権について発言したのはプロテスタントのカルヴァンだった。国民は聖書が証ししている神様に従い、神様がお立てになった王様にもしたがわなければならない。しかし、もし王様が神様に従うなと国民に強制し、教会に行かせず、十戒に抗(あらが)うことをしたら、王様より上にある存在(神様)を根拠に抵抗することを始めた。これが抵抗権だ」
この論理を知っていたのが日本の為政者たちだったと語る。「為政者たちは、学問的なところでなく政治的嗅覚(きゅうかく)で、キリスト教は抵抗する思想を育(はぐく)む宗教だと知っていた。だから、豊臣秀吉も徳川家康もキリシタンを弾圧し、迫害した。江戸時代、抵抗思想を与えるキリスト教が広がらないよう、徹底的に弾圧し、鎖国をした。だが、明治維新の時、政策が変わり、開国し、キリスト教を受け入れなければならない状況が起こった」
だが、この時は「キリスト教を骨抜きのようにして受容した」と話す。「抵抗思想が起こらないような仕方で、キリスト教を受容させていく。キリスト教が広まらないよう、この仕組みの中でしか活動できないようにする。こうして、教会の諸先生方も気づかないような仕方で今も続いている」
では、その仕組みとは何か? 最初に、明治政府の宗教政策を挙げた。「幕末、あの中国(当時・清)がイギリスに支配され、他の各国が欧米列強国に支配されたと聞く。そういう中で、黒船など大きな船がやってくる。政治的中枢にいた人たちは危機感を覚えた。そして、何かあったら一致団結して戦わなければならない、一君(天皇)のもとに万民が一つにならなければならないと考えた。最初に水戸藩の會澤安が唱え、その影響を受けた長州藩の吉田松陰が松下村塾で一君万民を教えていく。その教え子の伊藤博文などが後に明治政府を担っていった。それが一君万民だ」
「明治政府は、士農工商の身分制度を解体し、天皇のもとで市民平等となった。江戸時代、庶民の生活の中に天皇という存在はなかったので、明治政府は神的存在の天皇のもとで政治を行っていることを伝えるため、各家庭に仏壇と神棚を置くようにした。置かなかったら罰金、毎朝拝礼しないと罰金という政策を行った。こうして生活文化の中に万世一系の天皇の存在を浸透させた」
〝文化〟という言葉にも注目。「日本は当時、欧米列強と結ばされていた不平等条約を何とかしたいと思っていた。だが、そのためには、信教の自由、政教分離を受け入れなければならなかった。だが、信教の自由、政教分離は、祭政一致、天皇神権という明治政府が考えた国の形と真っ向から衝突した。そこで明治政府は、神社は宗教より上位にある〝文化〟だとし、七五三、初詣、地鎮祭なども〝文化〟だとした。こうして天皇神権を維持しながら他宗教も受け入れ、信教の自由と政教分離を両立させた。著名な神道学者の安丸良夫はこれを『日本型政教分離』と呼んだ。〝文化〟と言えば全部OK。これを否定すると非寛容と言われる。これが明治政府がつくったレトリックだった」
第二に、「天皇型人権」についても説明した。「日本では人権を、身分の差がなくなること、平準化、平均化を人権と呼んだ。そして、君主に対する平等な忠誠心が求められる。もし従わないなら人間とみなされない。この人権には抵抗権はありえない。この人権を私は『天皇型人権』と呼んでいる」
「この仕組みは、戦後も続いており、キリスト教は抵抗権を育む不都合な存在として、広がらないようにさせられてきた」と結んだ。
「ではキリスト教会はどうしたらいいのか」という質問に対し、森島氏は「聖書の神を神とすること、教会が教会になること。そのために福音を語らなければならない。伝道しなければならい」と応答。日本国憲法の草案づくりに影響を与えた植木枝盛、吉野作造、鈴木安蔵の名を挙げ、「3人の共通点はキリスト教。日本国憲法はキリスト教の人権思想の中でできた。もっと遡ると、プロテスタントの福音伝道の働きが思想的なものを与えていった。福音に触れ新しくされた人が社会に出て行き、その人たちが社会形成していく。教会が教会として福音を語っていくならば、必ずそれはソーシャルゴスペルになる。教会と社会を分裂させてはいけない」と強調した。【中田 朗】