[レビュー2]苦難への連帯『復讐の詩編をどう読むか』E・ツェンガー
解決の見えない対立、抑圧、暴力に私たちはどう向き合うか。苦しみや不安、怒りの感情が長引けば、やがて人間的限界を超え、爆発してしまう。そのような事例が世界で頻発しているようにも思える。その争いの場にあきらめの気持ちを抱いたり、冷ややかに見てしまう私たちもいる。
『復讐の詩編をどう読むか』(E・ツェンガー著、佐久間勤訳、日本キリスト教団出版局、3千960円税込、A5)は「聖書の詩編は私たちの敵対や暴力に満ちた世界に直面させる。詩編の祈り手たちはさまざまな顔を持った敵たちを前にして、恐怖の叫び声をあげる…詩編をもって祈り手たちは、恐怖心とそしてそこから浮かび上がる敵のイメージと戦う」(序言、13頁)と述べる。
本書は、時に人々の感情を逆なでするような、「敵に関する詩編」、「復讐の詩編」に注目する。教会の典礼文書でも、配慮のためか、これらの詩編が採用されなかったり、章句が削除されるなど、「検閲」が起きた。しかし本書では、これら復讐の詩編にこそ、苦難に抗い、対処する福音があるとして、公開された典礼(礼拝)の場や個人の祈りで、用いることを勧める。復讐の詩編の「多面的な問題」を整理し、実際に復讐の詩編(12、139、58、83、137、44、109)の解釈を試み、復讐の詩編の意味を考える。さらに具体的に典礼(礼拝)や祈りの実践方法を勧める。警戒したいのは、復讐の詩編を、「国家主義者や勝利主義者のような権力欲」に利用してはならないことだ。そこには侵略・差別・排除が生まれる。
なぜ攻撃的な詩編が聖書にあるのか。それらは「苦難や迫害、憎悪や危機、生命の危険や瀕死の状態、神への疑いや神への信頼の経験を歌う。それには人を困惑させるような言葉遣いやイメージを使うことがどうしても必要」(87頁)だからと言う。これらの詩編は「陳腐さやマンネリで固められた日常に向ける抗議であり、一人ひとりの人生に秘められたものを認めさせる戦いである」(同)。また問題を「過小評価あるいは無視するよう誘惑する心の傾きに対抗」(169頁)し、暴力の潜在性や、祈り手自身の暴力への共犯性にも気づかせる。
ときに神をも敵のようにみなすが、それは「公正をつかさどる裁判官として調べ、判断し」、「混乱させられた法秩序を立て直しそれを守ために処罰する神」(163頁)に向かって叫ぶのであり、祈り手自身は「『復讐』を放棄」するのだ。 このような詩編を共に読むことは、連帯につながる。著者はこう言う。「私たちが苦難の嘆きが祈りであるのを体得できさえすれば、つまり他の人々の苦難に耳を傾け連帯して嘆きの声を上げることができるようになれば、聖書にある敵に関する詩編が実は神の真実を巡る苦闘の表明なのだと理解できるようになるだろう」(195頁)。私たちの身近な問題に対しても、遠くの「争い」に対しても、詩編の叫びをともにすることが今求められるのではないだろうか。
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