被災地ルポ ● 放射能高汚染地域 スタディツアー  矛盾・現状を〝ナマ〟で見る 福島で生き 原発事故に向き合う


東日本大震災から8年余りたち、原子力事故のあった東京電力福島第一原子力発電所に近い双葉郡浪江町、大熊町、富岡町などでは徐々に避難指示解除が進み、復興住宅や特定復興再生拠点の整備事業が進められている。第一原発近くを通る国道6号線は、南のいわき市から北の南相馬市方面へ抜けられるようになり、復興事業のトラックなどで交通量も増えている。だが、溶融した燃料デブリの取り出しはようやく準備に着手したばかり、最終処分の行方も決まっていない。そうしたなか福島県キリスト教連絡会(FCC)放射能対策室では、福島の現状を〝ナマ〟で見てほしいと「高汚染地域スタディツアー」を試行的に始めた。10月30日、災害対応キリスト者連絡会(DRCnet)実務委員らの1日視察ツアーに同行した。【根田祥一】

「2011年3月11日、当社は福島第一原子力発電所で、きわめて重大な事故を起こしました。福島県の皆様、広く社会の皆様に甚大な被害をおかけし、今なお多大なご負担と、ご心配、ご迷惑をおかけしていることについて、心よりお詫び申し上げます」|福島第一原発から南へ約10キロの富岡町にある東京電力廃炉資料館。地震発生から原子力事故とその対応を説明する映像の冒頭、同社の反省とお詫びのナレーションが流れる。廃炉資料館は、「原子力事故の記憶と記録を残し、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓を社内外に伝承すること」が果たすべき責任とうたう。
しかし東京電力の旧経営陣の刑事責任を問う裁判で勝俣恒久元会長らは、事故は予見できなかったとして無罪を主張。9月19日、東京地裁刑事4部(永渕健一裁判長)は、その主張に沿った無罪判決を言い渡した。
「資料館の宣伝では、事故の責任を認め謝罪しているように聞こえる。だが裁判では経営陣の責任を一切認めない。このギャップをしっかりと知ってほしいのです」。FCC放射能対策室副代表の木田恵嗣氏(ミッション東北・郡山キリスト福音教会牧師)は言う。「善意に解釈すれば、廃炉資料館の展示を企画した現場の社員たちの中には反省があるのかもしれません。でも経営者の責任は認めない。矛盾しています」
避難指示が解除された地域に入れるようにはなったが、どこを見たらいいのか? 1人で行っても分からない|そんな声に応えてのスタディツアーである。

〝安全〟めぐり分断
FCC放射能対策室代表の岸田誠一郎氏(ミッション東北福島聖書教会牧師)は震災から3年後、放射能の問題に取り組もうと大阪での牧会に区切りを付けて福島へ移住した。それから5年の間に福島の空気はずいぶん変わったと感じるという。
「移り住んだ頃に感じた緊張感はだんだん薄れ、何事もなかったかのような空気が広がりつつあります。確かに、福島市のモニタリングポストの表示する放射線の空間線量も下がってきたり、市販の農産物からの放射性物質も検出されなくなったりと、〝安心・安全〟の材料が増えていることは事実です。しかし放射能高汚染地域に行くと、相変わらず高い線量のままですし、山菜やキノコ、川魚などはいまだに放射性物質が検出され出荷制限がかかっています。同じ現実に向き合っているはずなのに、『安全だ』という理解と、『安全とは言えない』という全く正反対の理解に分かれ、より深い分断が生まれていると感じます」
福島で生きるには、原発事故や放射能汚染の問題に向き合い続ける必要がある。FCC放射能対策室は、そのようなことを一緒に考えようと、放射能学習会や、高度な計測ができるホットスポットファインダー(HSF)による空間線量の測定、食品放射能計測などに取り組んできた。