キリシタンの信仰に救い求めた細川ガラシャ 屋敷内の秘密の部屋で洗礼 『日本史』では謀反に至る光秀の思い追及

 2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が1月19日から放映される。主人公は本能寺の変で織田信長を討った明智光秀。番組ホームページでは「謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます」とある。光秀の娘でキリシタンの細川ガラシャも登場し、番組の中で光秀、ガラシャがどう描かれるのかが注目される。光秀と共にガラシャがどんな人物で、どのような人生を送ったのか、本紙編集顧問の守部喜雅氏が寄稿した。

いまだに謎とされる明智光秀の織田信長への謀反の真相―いわゆる「本能寺の変」の謎に関し、日本側の歴史資料としては、信長の家臣である太田牛一著『信長公記』が一級資料として認められています。
ところが、この資料以上に、詳細を究めた「本能寺の変」の事件記録が、60年前に邦訳され出版されたのです。それが、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、400年以上も前にまとめた日本のキリスト教宣教記録である『日本史』です。
原文がポルトガル語で書かれているこの資料は、様々な事情により、初めはマカオの資料館に保管され、後にポルトガルやフランスのイエズス会関係の保管庫に写本だけが残されていましたが、その資料の存在を発見した日本の二人の歴史学者の手によって十年の歳月をかけて翻訳され、現在、『完訳フロイス日本史』(松田毅一、川崎桃太訳、中公文庫)全12巻として私たちも手にすることができるようになったのです。

「本能寺の変」に関し『信長公記』は約5千字を費やしていますが、『完訳フロイス日本史』では、何と、約2万字もの記録を残しています。『信長公記』が事実関係を簡潔に書いているのに比べ、『完訳フロイス日本史』では、実に詳しく状況描写をし、謀反に至る光秀の信長に対する思いを鋭く追及しています。
“歴史は歴史家によって創られる”とは、英国の歴史家E・H・カーの言葉ですが、太田牛一の『信長公記』が織田信長の英雄譚(えいゆうたん)としてまとめられているのに比べ、フロイスの『日本史』は、キリスト教の人間観により、信長の光と影に鋭く迫っているのです。光秀に対しても同じです。

さて、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公が明智光秀であるということで、その娘・玉の生涯もどのように描かれるのか興味あるところです。

1582(天正10)年5月29日、京都の本能寺で起こった光秀の謀反により、織田信長は48年の地上の生涯を終え、その12日後には、謀反を起こした光秀自身が農民に殺害されるという悲劇に見舞われます。
この「本能寺の変」は、光秀の娘・玉の人生にも暗い影を落とします。夫の細川忠興は、玉の命を守るべく、味土野という辺境の地に2年間にわたり幽閉し、その苦難の中で、玉の魂は飢え渇き、それはキリシタンの信仰に救いを求める大きな転機となったのです。
2年の幽閉期間の後、大坂の細川家屋敷に戻った玉ですが、忠興から教会に行くことを禁じられます。しかし、忠興の九州出兵の隙をついて、大坂の教会を決死の覚悟で訪れ、洗礼を受けたいと切望しますが願いは聞かれず、玉が洗礼を受けたのは、屋敷内の秘密の部屋で、キリシタンの侍女・清原イトの手によってでした。

1587(天正15)年8月、豊臣秀吉は、伴天連追放令を発令、キリシタン大名の高山右近は、身分をはく奪され小豆島へ逃れます。宣教師の中には、長崎の平戸に逃避し、活動を休止する者も出てきました。このキリシタンに苦難の時代、細川玉こと細川ガラシャは、有馬に潜伏していたイエズス会の宣教師宛てに長文の書簡を送っています。ルイス・フロイスの『日本史』の中にその書簡の全文が紹介されています。その冒頭部分で、ガラシャは自らの信仰について熱く記しています。現代文で紹介します。

「武田が、昨日朝、当地に参り、伴天連様、いるまん様方の御動静を拝聞いたしました。喜びに堪えないことでございますが、とりわけ、皆様全員が日本を御退去なさるものではないことを承り、私にとっても本当に喜びに堪えません。
これによって、私も心に力を得て、いずれは当地方にもお戻りになり、御面接を賜ることもあろうかと希望を新たにしました。私のことについては、伴天連様が御存じのごとく、切支丹となりましたのは人に説得されての事ではなく、ただ、全能の天主の恩寵により、私自らがそれを見出してのことであります。たとえ、天が地に落ち、草木が枯れ果てても、私が天主から得た信仰は決して変わることはありません。最も悲しみに堪えないことは、伴天連様への迫害により私たちが受けた不幸であります。けれど、これによって、良き切支丹としての信仰が、証明されるものと思われます。伴天連様方御退去の後、私への苦難は絶えたことがありませんが、何事も天主の御助けにより御加護を受けておる次第でございます。…」(参照・上総英郎編『細川ガラシャのすべて』収録・“細川ガラシャと光秀”長田真紀著・新人物往来社)

洗礼名“ガラシャ”とは“神の恩寵”という意味です。この書簡の中で、ガラシャは、自らの信仰が、ただ神の恩寵のゆえであることを告白しています。

ルイス・フロイスは、ガラシャの生涯について約1万字を費やしていますが、信仰を持った後のガラシャの変化についてこう記しています。

「キリシタンになることに決めて後の彼女の変わり方はきわめて顕著で、当初はたびたび鬱病に悩まされ、時には、一日中、室内に閉じ籠って外出せず、自分の子供の顔さえ見ようとしないことがあったが、今では、顔に喜びを湛え、家人に対しても、快活さを示した。怒りやすかったのが忍耐強く、かつ、人格者となり、気位が高かったのが、謙遜で温順となって、彼女の側近たちも、そのような異常な変貌に接して驚くほどであった」。(『完訳フロイス日本史』Ⅲ)

豊臣秀吉の死後、時代は変転します。ガラシャの夫・細川忠興は、豊臣側に反旗を翻し、徳川家康に忠誠を誓います。豊臣側の石田三成は、その反逆の流れを止めるべくガラシャを人質として取ろうと細川家屋敷を急襲、追い詰められたガラシャは、自害ではなく、家臣の介錯により命を絶ちます。天を想いながら旅立った38年の生涯でした。

*守部喜雅著『宣教師フロイスが記した 明智光秀と細川ガラシャ』=写真上=がフォレストブックスから発売される。四六判 千430円税込。発売は2020年2月の予定。