聖書に聴き、一人ひとりに仕える  社会福祉法人日本医療伝道会・衣笠病院

写真=左から柏瀬さん、佐野さん、大野さん

 神奈川県横須賀市の衣笠病院は、JR横須賀線横須賀駅から一駅。衣笠駅前の商店街を抜けてガードをくぐると、屋上に大きな十字架がある病院が見えた。病院受付のエントランス上部には、パイプオルガン、ステンドグラスが設置されている。ここでチャプレン室長の大野高志さんが柔和な笑顔で迎えてくれた。

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 衣笠病院は、戦後の横須賀市におけるキリスト教史を物語る存在の一つだ。

 戦後の混乱の中、米海軍横須賀基地司令官のベントン・W・デッカー大佐の熱意もあり、横須賀市には、キリスト教主義学校、病院、福祉施設が建てられた。カトリック系では栄光学園、清泉女学院(両校とも現在は鎌倉市に所在)、聖ヨゼフ病院、プロテスタント系では横須賀学院、横須賀基督教社会館、そして衣笠病院だ。米軍基地周辺には教会も多い。

 同病院は1947年に「日本基督教団衣笠病院」として開設。もともとこの地域には戦時中、旧日本海軍の共済会病院があったが、戦後、医師、看護師らは各地に散ってしまっていた。同病院に協力したのはYMCAを通じて活動していたクリスチャン医師ら。戦時中YMCAは中国・南京で病院を運営していたが、戦後、医師らは帰国していた。このようにして、地元の医療ニーズ、米海軍の後押し、クリスチャン医師の協力によって病院が建てられた。49年にはここから日本キリスト者医科連盟も始まった。

 大きな試練は60年前の火災だ。新生児8人を含む16人が犠牲となった。青嶋ミチヨ看護師は、数回にわたり火の中へ入り、新生児5人を救出したが、殉職した。火災後は、地域住民が県に要請するなど協力し、再建。世界中のキリスト者の支援もあったという。復興後には、火災で亡くなった乳幼児と高齢者を覚え、乳幼児センター(のちに健康管理センター)、特別養護老人ホーム「衣笠ホーム」を開設した。

 現在は社会福祉法人日本医療伝道会のもと、14の診療科、20床のホスピスをもつ病院(251床)、特別養護老人ホーム(120床)、介護老人保健施設(50床)、訪問看護・居宅介護支援ケアセンター、在宅クリニック、健康管理センターを併設する職員総数760人のグループとなった。

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 近年は医療界全体として、在宅ケアへの移行があるが、同病院では、すでに在宅ケア、地域包括ケア、回復期リハビリテーションの比重が高まっており、2025年を見据えた中長期計画では、がん、リハビリ、在宅の三つに重点をおいた地域包括ケアシステムを展開する方針。このグループの創立の精神を支え、患者の日々の心のケア、職員のケアに関わっているのがチャプレンだ。

 大野さんは「一人ひとりの患者さん・利用者さんと向き合い、『あなたのことを覚えていますよ』ということを、どう示していけるか日々考えている。患者さんのかたわらで祈ることもある。『祈っている』『大丈夫。守られている』というメッセージを様々なかたちで伝えるようにしている」と。

写真=ホスピス棟での礼拝。右は片岡さん

 グループ内の3施設で毎朝礼拝を実施。月1回の夕礼拝では、地域の多様な教派の牧師が説教する。事務局次長の古屋明哉さんは、「毎朝礼拝があるということが恵み」と語る。「中学生の職場体験、看護学生、研修ドクター、薬剤師などの研修を積極的に受け入れているが、礼拝から体験してもらっています」

 鎌倉泉水教会牧師の片岡宝子さんは、2年前から非常勤のチャプレンとして協力している。「病院では入院、外来、医療スタッフ、日々たくさんの人と接する。しかし牧師としてかかわるというアイデンティティーは、教会でも病院でも基本的にいっしょ。医療福祉の現場で、牧師はこういうこともできるんだという発見もあった」と話す。入院期間の短期化で患者とかかわる機会が減っているという状況もあるが、衣笠ホームなどでは比較的長期にかかわり、関係をもてているという。「クリスチャンではないスタッフも多いが、利用者さんに寄り添って励ます姿を見ると、仕えることの姿勢を教えられる。礼拝には職員もチャプレンも参加する。このような雰囲気を守り続けていくことがチャプレンの役割でもあるかと思います」

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 相談・支援センター退院支援室の2人のクリスチャンの看護師からも話を聞いた。同支援室室長の佐野かず江さんは、同支援室について「ただ退院のことだけをするのではなく、その先どう生き、暮らすのか。家族関係も含めて相談する」と働きを説明。「本人と家族の意向が違うこともある。そこをどう折り合いつけて安心して暮らしていけるか。入院期限短期化という昨今の病院の現実もあるが、入院患者が自分の人生、家族関係を振り返り、これからどう生きていくか考える機会となっている。家族関係がこわれた人もいる、家族からも介護を続けて、これ以上無理という悲鳴のような声もある。ソーシャルワーカーとも連携しています」

 同支援室の柏瀬祐子さんは、「長く看護師をしていると、死と生が表裏一体に見え、患者さんの看取りが日常。医療、看護だけではどうしようもない状況にも直面する。『私ができることは何もない』と途方に暮れるとき、祈ることができるのは感謝。私は、患者さんに『お祈りしていいですか』と聞くことがある。一般の病院ではそのようにならないかと思う」と話した。

 月2回ほど、礼拝の説教担当がある。佐野さんは「業務に忙しい中で説教準備は大変。しかし聖書と向き合い、聖句がどのように私に語るかを学び、整理できることは感謝」と話す。

「患者さんたちと折り合いがつかなかったり、悲しいこともある。そのようなとき毎朝の礼拝を通して支えられ、向き合い続けることできる。クリスチャンではない同僚で、『これがあるから頑張れる』と話して、毎朝礼拝に出ている人もいる」

 柏瀬さんはこのようなエピソードも話した。「礼拝にお誘いしたホスピスの患者さんがおられた。私が非番のときだったが、一度礼拝に参加してくれた。しかし、その後七夕の短冊にその人が『神様がいるならなぜこんなひどいことに』という趣旨のことを書いて間もなく亡くなった。スピリチュアルな叫びと直面することも多い。この方は一度でも神様を求めて礼拝に来て、御言葉を聞いて亡くなった。天国にいてほしいと思います」

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 大野さんは、「患者さんには、人生経験豊かな方々が多い。むしろ私が疲れたとき話を聴いてもらうこともある」と話す。「イエス様はたくさん語られたけど、それ以上に聴かれた方だった。人々の話を聴く中で、イエス様ご自身も癒される経験をされたのではないかと実感する。ある患者さんは私の手をとって、自分の傷の跡に触れさせてくれた。『ここに傷、痛みがある。これが復活後のイエス様に触れたトマスの体験か』と思わされた。病院で牧師をすることになって聖書の読み方が新しくされる経験をしています」

 ▽衣笠病院L046・852・1182

      【高橋良知