東日本大震災国際神学シンポジウム応答① 「苦難の中でシャロームを生きる」 青山学院大学教授 左近豊

 2月3日に行われた「第6回東日本大震災国際神学シンポジウム」(主催=OCC・災害救援キリスト者連絡会、東京基督教大学、青山学院宗教センター、キリスト者学生会、学生キリスト友愛会、共催=フラー神学大学院)=2月16日号で一部既報=では、フラー神学大学院旧約聖書主任教授のレスリー・アレン氏の主題講演を受けて、3氏による応答の後、分かち合い、パネルディスカッションが行われた。青山学院大学教授の左近豊(とむ)氏による応答講演を抄録する。

旧約聖書における「嘆きの詩編」「哀歌」は、東日本大震災後の社会にあって、神への「執り成しの祈り」となる。それは、単に人間中心の嘆きではなく、むしろ絶望の中に生きる者の傍らで、代わりに嘆き祈る「執り成しの共同体」「嘆きの祈りを生きる民」の形成を促す言葉であることを論じたい。

崩壊後の共同体の苦難

東日本大震災後、常軌を逸した苦難が人々から言葉を奪った。さらに震災による崩壊を生き延びた人たちの中には、他者を犠牲にして逃げ延びた自分の内にある「獣性」を目の当たりにし、深い恥辱を抱え、その記憶を封じて、言葉を失った沈黙に生きる生還者が少なくない。しかし、そのような崩壊後には、喪失した「ことば」の回復への挑戦もある。日本の詩人や歌人は、震災後の危機にあってなお、嘆きを詩の言葉として紡ぎ出してきた。それは、紀元前6世紀の「哀歌」を始めとする嘆きの詩を紡ぎ出してきた聖書の文脈とも呼応するものと言える。

崩壊後の共同体の「ことば」

聖書は、歴史における度重なる危機を「語り」によって生き抜いてきた信仰共同体の、神との出会いの証言である。喜び、賛美、感謝にととまらず、むしろ想像を絶する恐ろしいことも語り伝え、子供や孫に、神に向かって嘆くことをも教えた。その証言は崩壊後を生き延びた者たちの嘆き、悲しみ、怒り、苦しみの吐露でさえあった。
詩編88編では、詩人は神との接点を求めながらも、神からの応答を引き出すことができず、誰にも理解されない孤独に捨て置かれている。最終的に「闇」でこの詩編は閉じられ、何も解決せず、希望も芽生えない。哀歌の最終章の最終行も「終わり」とは言えない終わり方になっている。協会共同訳は「それとも、あなたは私たちをどこまでも退け/激しい怒りのうちにおられるのでしょうか」と疑問文で訳すが、聖書学者のトッド・リナフェルトは、ここを結句のない条件文と理解する。「もし本当にあなたが私たちをお見捨てになられ/激しく私たちに憤られているとしたら…」。このように最終節を唐突に、完了とは言えない仕方で終わるのは、哀歌全体に照らしてふさわしいものといえる。神の無回答を前に、嘆きから賛美に向かわず、悲嘆にけりをつけることをあえて拒んだ意図的な終わりである。嘆きや悲しみを包み隠さず、神に挑みかかるように問い続けるのは聖書の伝統であり、その信仰を聖書は育む。それも神の民の祈りだと教えている。
震災後の解決の見えない闇にたたずむ者の嘆きは、その傍らにあって彼らに代わって神に訴える「執り成しの祈り」と響きあう。それは例えば哀歌の未完の嘆きに連なるものである。この祈りを繰り返す中で、信仰共同体である教会は、その礎に、十字架につけられ死にて葬られた方との出会いがあることを、深く知るものとされる。いのちの「ことば」を与えられている教会は、陰府に降り、神いまさぬはずの「陰府」を神いますところへと変えられた復活の主との出会いの「ことば」を携えて祈るものとされている。ここに「執り成し手」としての共同体の意義が際立つ。

崩壊後の祈りを生きる共同体

哀歌3章20節には「思い出す度に私の魂は沈む」(協会共同訳)とあるが、ここが〈写本家の修正〉であり、本来「あなた(=神)の魂」となっていたことから黙想を深めるなら、ここは絶望の中にある詩人が、自分に覆いかぶさって嘆きうめく神と出会っている証言、と読むこともできる。人間の悲惨にくずおれる「私」のうめきを導く「哀歌」は、その先に、身代わりとなって審きを身に負われた主をなお望み見て、待ち望むものである。

最後に

イザヤ書40章以降の主の民への「慰め」は、「苦難の僕」のくだりで、哀歌の嘆きを吐露するかのような、傷ついた存在によって癒やされる希望へと導く。嘆きの祈りを命の糧として生きながら、泣く者とともに泣く共同体、苦難のただ中で、祈りさえついえた者の傍らにあって、彼らの代わりに「執り成し」の「ことば」を与えられている共同体、それが聖書の民なのだと言えよう。