本田路津子さんデビュー50年 道のりすべてに主の祝福が ヒットの中で苦悩

大好きな歌の世界で認められ、大学在学中にデビューした本田路津子さんは、一躍人気歌手に。デビュー翌年から2年連続でNHK紅白歌合戦に出場するなど、順風満帆に見えたが、多忙を極める生活の中で、実は次第に心をすり減らし始めていた。自分を見失うまいとした本田さんは、立ち止まって考えることを選び、3か月の休暇を取って渡米。彼女の人生はそこから大きく方向変換していく。自分では思いもしなかった場所に運ばれていった本田さんだが、デビューから50年を迎える今年、振り返って思うのは、歩んできた道のりのすべてに、主の豊かな祝福と導きがあったということだった。【結城絵美子】

透き通ったのびやかな歌声は、本田さんの人柄をそのまま表しているようだ。明るく素直で、それでいて、染まらない強さを秘めている。
大学4年生の春に出場したフォークソングのコンテストで優勝し、その年の秋にはデビューを果たしていた本田さん。あっという間に売れっ子になり、世間に名が知られ、一般的な大学生が手にすることのないような収入も得るようになった。
しかし、そんな人もうらやむような環境の中で、本田さんの心にはいつしか焦燥感と不安が膨らみ始めていた。子どもの頃から歌うことが大好きだったが、芸能界の中では、楽しく歌ってばかりもいられない。ハードスケジュールによる疲労のためにのどの調子を保つことが難しかったが、納得のいかないコンディションでも、出番がくれば歌わなければならない。
また、自分の才能をはるかにしのぐと思える人々との出会いや、先輩歌手たちと比較されることに、自信やアイデンティティーを失いかけてもいた。それでも客観的には、数々のヒット曲を飛ばし、フォークソング人気の波に乗っていた本田さんは、まだまだそのまま疾走することもできたはずである。

アメリカから帰国後に引退

しかし、自分の心のささやきにふたをせず、それに耳をすませてみようとしたところに、本田さんの強さがある。芸能界に執着するのであれば、少しでもその場を離れることは怖くてできなかったはずだが、もっと大切なことを優先して、デビュー5年めにして3か月の休暇を取り、アメリカで過ごすことにした。
そこでは、誰と比べられることもなく、何に追い立てられることもなく、観光したり、野外コンサートに行ったり、のんびりと楽しく、充電期間を過ごすことができた。そしてその休暇が終わりに近づく頃、後に夫となる人との出会いがあった。シアトルに住んでいた従妹の家を訪ねたとき、ワシントン大学に留学中だった彼も、他の数人の留学生たちと共に従妹の家に招かれてきていたのだ。
本田さんの帰国後、二人は文通を始める。彼はクリスチャンだった。クリスチャンホームに育ち、漠然とした大きな存在としての神様は信じていた本田さんは、クリスチャンだという彼に、渡米前から抱えていた悩みや疑問をつぶさに打ち明け、相談した。彼は、本田さんが抱える大きな重荷を、すべてイエス・キリストのもとに下ろすようにと導き、助けてくれた。
幼い頃から知っていた神様に、改めて個人的に出会った本田さんの決断は素早く、迷いがなかった。彼と共にイエス・キリストに従っていきたいと思い定めると、惜しげもなく芸能界に別れを告げ、洗礼を受け、彼と結婚して、アメリカに移り住んだのだ。

神の栄光を喜びに

しかし、本田さんほどの歌声を、周囲はやはり放っておかなかった。教会の集まりなどで、「歌ってほしい」と頼まれると、元歌手として、中途半端な歌は聞かせられない、とたちまち緊張してしまう自分がいた。
イエス・キリストのもとに重荷を下ろした時、歌手という「商品としての自分」もそこに置いてきたはずなのに、まだまだ捨てきれないものがあったのだな、と思っていた頃、ある人が「恥は我がもの、栄光は主のもの」と話すのを聞いた。これは「救いと栄光と力は私たちの神のもの」(黙示録19:1)という聖書箇所を引用しながらの話だったが、本田さんの心に響いて、ひらめくものがあった。
歌おうとすると過度に緊張してしまうのは、うまく歌って「さすが」だと思われたいからだ。それはつまり、神ではなく自分が栄光を受けようとしていたということ。だが、賛美歌とは、神の栄光をほめたたえるためのもの。
そう気づいたとき、プレッシャーから解放されると同時に、歌うことが心の底からうれしくなった。自分に与えられた賜物である声で、それを与えてくださった神を賛美する。そこに喜びと平安を感じるようになると、過去に抱えていた「人と自分を比べる苦しみ」というもう一つの重荷も、消えてなくなっていった。
神が与えてくださったものを、神にお返しするとき、それが小さなものでも大きなものでも、赤いものでも青いものでも、それ自体は問題ではない。それらすべてを造ってくださった神が素晴らしいのであり、その神を喜ぶことが自分の喜びの歌となる。

「神の計画に従いたい」

芸能界で歌っていたのは5年間だった。12年のアメリカ生活を終えて帰国してからは、もう30年以上、日本で、教会を中心としたコンサート活動を今も行っている。それもみな、招待してくれるところがあってのことで、自分で計画したことではない。2017年には、ソニーミュージックから、フォークソング時代の歌100曲を集めた「RUTSUKO HONDA FOLKSONGS1970-1975」という5枚組CD BOXが発売された。これも自分のまったく知らないところで進められていた企画だった。
そろそろ人前で歌うことは卒業しようかと思い始めてもいたが、今年は50周年記念コンサートが企画され、なかのZERO(東京・中野区)という大ホールで歌うことになった。戸惑う気持ちがないわけでもないが、自分の計画より神様の計画のほうが確かだと、これまでの歩みから確信しているので、この招きにも素直に応じることにした。
神様はこれからどこにどんなふうに自分を導いてくださるのか。先はわからないが、従う準備はできている。