言語強者に排除された人々

 「聞くことのポリティクス−分断と不和を乗り越えるために」をテーマにしたシアターコモンズ’20では、「芸術と社会」「芸術と公共」「芸術と仮想性」「芸術と政治」という四つのトークイベントが実施された。いくつかの論点を追ってみよう。

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 あいちトリエンナーレ2019(以下あいトリ19)では、展示の一部を巡り、電話クレーム(電凸[でんとつ])、ネット攻撃、政治介入などが発生した。これを受け、「芸術と社会」では「『わかりあえない者たち』をつなぐ芸術:敵対と不和を乗り越えるために」がテーマとなった。

 文芸評論家の藤田直哉氏は、「敵対と不和」をキーワードにした社会関与型芸術(ソーシャリー・エンゲージド・アート)の議論を踏まえ、「近年ネットでは短絡的に反応し合う議論が目立った。それがあいトリ19で露骨に顕在化した。これは社会関与型芸術として大きな達成だった」と評価。「芸術は調和的なユートピアを目指すだけではなく、社会のもめごと、残酷さを可視化する役割もある。理性的な対話を基本にする民主主義、公共圏から排除される人たちをも取り込んだラディカルデモクラシー論が議論の背景にある」と解説した。

 一方「世界的に分断やポピュリズムが進む中で、敵対と不和を顕在化するだけでいいのか。社会関与型芸術の議論を見直す必要がある。言葉だけではなく、視覚、情動、身体に関与して訴え、メディア形式を変え、実験を繰り返してきた芸術だからこそ、社会の機能不全を更新できるのでは」と期待した。

 相馬千秋氏は、「あいトリ19で、多数の声明が出たが、それに賛成するかしないかで小さな分断が生まれた」と振り返った。「言語的対話能力を持つ人が有利になり、構造的に排除される人たちがいた。それは日本語を母語としない人、子ども、論争が苦手な人、多くの女性たちだった。発言しなければ存在しないとされる状況。だが、そういう状況下で別の回路を作れるのが芸術のはずです」、、、、、

2020年5月3日号に掲載