6月14日号紙面:【ことば社創立70周年特集】「いのちのことば社物語」 福音を文書で伝えた70年 第2回
いのちのことばをしっかり握って GRIP70 福音を文書で伝えた70年 雑誌・新聞に〝福音〟を託す 時代の闇を聖書の視点で照らし 信仰育成と伝道の両面を指向
文書伝道を旗印に掲げて1950年に創立したいのちのことば社は、当初英語の信仰書の翻訳やトラクト(伝道用小冊子)の印刷、頒布からスタートした。このトラクトによる伝道は、やがてEHCの全戸トラクト配布へと発展していく(4、5面参照)。
創立の翌51年、「百万人の福音」の前身である月刊誌「生命の糧」を創刊。これが、弊社が定期刊行物による伝道を志した最初である。50年代前半は海外ものの翻訳が多く、個人の救いの確信や伝道をストレートに迫る論調が強かった。
「これが真理だ」というスタンスで、内容は禁欲的かつ潔癖。そこには、「キリスト」と「この世」(とりわけ金銭、芸能、娯楽、共産主義)との対立構造が見え隠れする。教会や伝道に関することだけが「善」であり、それ以外を取るに足らないものとする傾向だ。すべてが「聖書的」教訓に結びつけられ、隣人愛の要素は乏しい。こうした背景の一つには、先の戦争による絶望感、無力感に加え、エスカレートする東西冷戦やそれに伴う核戦争への恐怖という緊迫した世界情勢があった。世の終わ かれた記事も多く見受けられる。
3年後に「百万人の福音」へ改題する際の発刊の辞に記された「敗戦のみじめさを味わい、生きる指針を見失った同胞に」などの文言に、心の荒廃を福音で満たそうとする意識がうかがえる。「敗戦以来社会は日に日に暗黒となり、人心はすさみかつ冷やかになって参りました」と危機感が漂う。前年まで朝鮮戦争があり、3月には漁船第五福竜丸が南太平洋で水爆実験の灰を浴び、世界的な核戦争の可能性も取りざたされていた。9月には青函連絡船沈没で多くの死者が出た。
当時の読者の多くが、戦闘や空襲による無残な死を嫌というほど目にしたはずだ。人は必ず死ぬ、それも理不尽な死があることを骨身に沁(し)みて知っていた。そのような時代に生きた人々に、「百万人の福音」はキリストの福音の希望を伝えようとした。
だが〝キリスト教社会〟が存在する欧米と違い、日本ではキリスト教色を強く打ち出した出版物が街の一般書店に並ぶチャンスは多くない。おもな読者層はクリスチャンであり、連載や特集のテーマもクリスチャンの関心が高く信仰の育成に役立つようなものが主流となる。そうした中で歴代の編集者たちは、伝道的な読み物のコーナーを設けたり、育児や介護、趣味に関わる連載などクリスチャンでもそうでなくても共通の課題の分野で福音の視点を盛り込むなど、信仰の育成と伝道の両方の使命を果たそうと工夫を凝らしてきた。
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67年にはクリスチャン新聞が発刊される。これは、それまで無かった福音派のニュース媒体をクリスチャンのライフサイクルである週刊の新聞という形で発行しようという、創業者マクビーティの強い意向による。「百万人の福音」よりジャーナリスティックな色彩の媒体としては64年に創刊した月刊「福音ジャーナル」がすでにあり、クリスチャン新聞はそれを引き継いだ。
60年には前年の日本宣教百周年記念聖書信仰大会を機に日本プロテスタント聖書信仰同盟(JPC)が発足し、聖書を「誤りなき神のことば」「信仰と生活の唯一の規範」と捉える聖書信仰・福音派の立場から論調を展開。同じころ新改訳聖書の翻訳も開始される中で、新聞創刊の背景には福音派の言論を発信しようとする動機が色濃かった。
1面に「聖書信仰の確立/宣教のビジョン/実際生活の指針」と編集方針を掲げた。「聖書信仰」を福音宣教と実際の生活に生かそうとする意識がうかがえる。77年にはこれに「健全な教会成長」が加わった。福音派の教勢が活発な伝道によって拡大し、70〜80年代に教会成長論が高い関心を呼んだことを反映している。
当初は隔週刊で始め同年11月〝週刊〟に。初年度最大のニュースは日本武道館に延べ20万人を集めたビリー・グラハム国際大会だった。紙面にはそうした福音派の盛んな伝道活動とともに、JPCと日本福音連盟(JEF)、日本福音宣教師団(JEMA)を創立会員とする翌年の日本福音同盟(JEA)創立など、福音派が結集していく動きが記録されている。
60年代から70年代初頭の日本社会は、伊勢神宮国営化や靖国神社国家護持など、戦前回帰をもくろむ政治の動きが活発化し、キリスト教界にも危機感が高まった。こうした動きに対し紙面は、福音派も戦前戦中の罪責を認識する聖書信仰の観点から反対したことを伝えている。靖国問題を信仰の課題と捉え、私たちの体質の中にある「内なる天皇制」を問題視した。
74年には、その後の福音宣教に多大な影響を与えたローザンヌ世界宣教会議が大きなニュースとなった。同年それに先立ち開催された最初の日本伝道会議に、ローザンヌ運動の神学的支柱ジョン・ストットを主講師に迎えたことも報じた。戦後、自由主義神学に対抗して「聖書信仰」を掲げた福音派だが、ローザンヌ誓約には「キリスト者の社会的責任」の項も盛り込まれるなど、「包括的な福音」の理解に基づき、社会への関心に目が開かれていった時期でもある。
クリスチャン新聞には当初から「新聞伝道」のビジョンがあった。福音が現実の出来事や人々の生活に反映していることを福音のニュースとして伝えるという発想だ。そこにはイエス・キリストを救い主として個人的に告白する、いわゆる〝救霊〟と、聖書を信仰のみならず生活の唯一の規範と位置付ける聖書信仰の包括的な福音理解が併存していたといえよう。
そのような中から、目的を伝道に特化した新聞タイプのトラクトとして、月刊クリスチャン新聞「福音版」が74年8月に発刊された。各分野で活躍するクリスチャンの証しを毎号掲載する編集方針は今日まで引き継がれている。(つづく)
※次回の「70周年特集」は7月12日号に掲載します。