「インターネット等を通し『集まる』ことも幸い」 「集まる」方法でなく目的に焦点を JEA神学委員会 新型コロナ禍の現状を神学的考察

新型コロナウイルスの終息が見通せない中、日本福音同盟(JEA)神学委員会は5月、文書「『心をひとつにして、福音信仰のために』~新型コロナウイルス時代を生きる教会~」を発表。牧師、神学校教師でもある同神学委員会のメンバー8人が、この現状をどう受け止め、実際に取り組んでいくのかについて神学的考察をし、まとめた。

岩上敬人氏(JEA総主事)は、同文書がまとめられた経緯、意図についてこう記す。「4月6日緊急事態宣言が出された後、私たちは、これまで毎週ささげていた教会での礼拝の休止を余儀なくされ、さまざまな集会や活動が制限されてきた。JEA加盟の教団でもさまざまな対応が取られ、地域教会に判断を委ねながらも、教団としての対応を行っている。通常の礼拝に代わってオンラインで礼拝配信や説教の配信を始め、Zoom、Youtube、Facebookなどを使った新しい形の礼拝も一気に広がった」
「その後5月25日に緊急事態宣言は解除されたが、感染の第二波、第三波を防ぐために『新しい日常』が始まった。このような大きな変化の中にある私たちは、現実的にさまざまな問いに直面している。たとえば、教会に兄弟姉妹が集うことの意味とは、そもそも礼拝とは、キリスト者の交わりとは、オンライン上の礼拝をこれからも続けるべきか、聖餐式はオンラインで可能か、これまでの教会は疫病にどう取り組んだのか、5GをはじめとするAI技術を取り入れ新たな教会のあり方や宣教の可能性に取り組めるか、などだ。JEA神学委員会では、理事会の要請を受けて、これらの問いに対する神学的な考察を行った」
寄せられた文書は「我、教会を信ず」(篠原基章、福音伝道教団/東京基督教大学准教授)、「『いっしょに』集まる幸い~愛と善行を励まし合うことにこそ~」(赤坂泉、聖書宣教会/聖書神学舎)、「聖書(特に旧約聖書)における律法の柔軟な運用」(千代崎備道、日本ホーリネス教団/東京聖書学院)、「インターネットを用いて『礼拝する』とは」(山田泉、ウェスレアン・ホーリネス教団/ウェスレアン・ホーリネス神学院)、「遠隔礼拝における聖餐」(青木義紀、日本同盟基督教団/東京基督教大学講師)、「感染症とキリスト教会の歴史から」(吉川直美、シオンの群教会/聖契神学校)、「AI技術の成熟と教会を考える~30年後を見据えて~」(能城一郎、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団/中央聖書神学校)、「コロナ禍におけるみことばの励まし」(宮崎聖輝、イムマヌエル綜合伝道団/聖宣神学院)。
篠原氏は「私たちは教会というと、屋根の上に十字架のついた建物を思い起こすかもしれない。しかし、それは教会堂であって、それ自体が教会ではない。教会は『キリストのからだ』(エペソ1・23)であり、教会のかしらであるイエス・キリストにあって集められた群れそのもののこと」とし、「教会は互いに物理的距離を確保する必要に迫られているが、これが『スピリチュアル・ディスタンシング』を生んではならないだろう。物理的距離が強調される今だからこそ、私たちがキリストにあって一つのからだとされているという霊的現実を思い起こしたい。キリスト者は互いに離れていたとしても、互いを自分の一部として感じ、祈りに覚えることを通し、互いに仕え合うことができる」と述べている。
赤坂氏は「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い」(へブル10・25、新改訳第三版)の「集まる」「励まし合い」に注目。「どのように集まるかは副次的なこと。形態ではなく、集まる目的に焦点を合わせよう。愛と善行を促すために互いに注意を払うこと、そのために集まり、そのように励まし合うことが大切だ。インターネット等を介して『集まる』ことも幸いだ。集まること自体ではなく、愛と善行を励まし合うこと、神を愛し、隣人を愛する日々の現実を励まし合うことが目的であるなら、それを実現する手段はもっとありそうだ」と記す。
千代崎氏は、「過ぎ越しの延期」(民数記9・6~11)、「捧げ物の振替」(申命記14・22~26)などの旧約聖書の記述を挙げ、「律法の規定は状況によっては例外や柔軟な運用が許されることもあった」とし、「このような状況において、もし神が私たちのできることを嘉(よ)みくださるのなら、新しい方法がありうると考え、その中で最善を尽くすことは、聖書的に間違いとは言えない。緊急事態の後には教会堂に集まっての礼拝スタイルが再開されることを否定する必要はないが、新しいスタイルを柔軟に考えることは宣教の機会を広げるきっかけとなるかもしれない」と期待する。
山田氏は「教会に集まれないという特殊なケースでインターネット配信での礼拝が主となる時、通常と全く同じ形で構わないか」と問いかけ、「多くの場合家庭で、しかもクリスチャンは一人だけという中での周囲への遠慮、これがきっかけで教会に行ったことがない家族が一緒に視聴してくれた場合、すなわち新来会者へのような配慮、いつも教会に出かけて礼拝をささげていた方の、礼拝への備え」に対して、何らかの考慮の必要性を強調している。
同文書はJEAのウェブサイト(URL https://jeanet.org/)からダウンロードできる。