6月28日号紙面:「神のみ」を貫く確信と葛藤 書籍『知られなかった信仰者たち』 オンライン出版記念会
「神のみ」を貫く確信と葛藤 書籍『知られなかった信仰者たち』に見る「森派」の信仰
『知られなかった信仰者たち 耶蘇基督之新約教会への弾圧と寺尾喜七「尋問調書」』川口葉子・山口陽一共著いのちのことば社、990円税込み、四六判
信徒伝道者を中心に独自の教会形成をした「森派」(耶蘇基督之新約教会)。そのひたむきな信仰ゆえに、戦時下に弾圧を受けたが、その実態は一部の手紙、口伝で知られるのみだった。戦後その信徒の尋問調書が見つかり、今回森派の信仰にせまる『知られなかった信仰者たち 耶蘇基督之新約教会への弾圧と寺尾喜七「尋問調書」』(川口葉子・山口陽一共著、いのちのことば社)が刊行された。6月13日には「教会と政治」フォーラム、いのちのことば社共催の出版記念会をオンラインで実施。森派の信仰から学ぶ一方、その限界も議論し、現代の教会への問いかけとなった【高橋良知】
従来森派は、抵抗と弾圧の例として扱われたが、本書では、「抵抗」以前に、まず森派の信仰の論理をとらえる。そして宗教政策の背後にある国家主義的体制の論理と相克する過程を描いた。
森派とは、指導者の森勝四郎にちなんだ呼称。当時主要教派だった日本基督教会の教会から信者が分離して森派の教会となり、高知市を中心に、関西、関東にまで教会を形成した。
ただ神にのみ頼るという信念で組織、規則をもたず、説教原稿や記録も残さなかった。安息日厳守と偶像礼拝の拒否、教会と世俗との区別が明確で、信徒以外の人とのかかわりは希薄。世俗の影響を受けない職業選択や起業をして、独自のコミュニティーを形成した。
当初、主要な教派に属さない森派は宗教行政のらち外にあった。だが1940年の宗教団体法では、「宗教結社」として行政の対象(文部省管轄)となった。そのころ宗教団体の統制を計った司法省や特高からは捜査の対象となっていた。41、42年に計43人が特高によって検挙。信仰を明確にした者もいたが、転向者も多かった。
今回寺尾喜七の尋問調書が発見された。この調書の写しをもっていたのが、森派を継承する信徒伝道者の岩崎誠哉氏。娘の村田貴志子氏を通じて東京基督教大学教授の山口陽一氏が調書の存在を知った。日本キリスト教史が専門で宗教行政にも詳しい川口葉子氏(同大学国際宣教センター研究員)が研究を進めた。
出版記念会には、岩崎氏と村田氏も参加。「検挙から20年が経ち、寺尾さんの長女が故郷で調書の写しを発見した。戦後は警察も市民も様々な資料を燃やしたものだが、この資料は寺尾さんの息子が残していた。これは人のわざではなく神様のわざだと思った」と話す。
寺尾は材木商で、その正直な仕事ぶりが同業者に信用された。材木市場は寺尾のために日曜日は閉じていたほどだ。信徒伝道者としては、その説教の力強さ、信仰の姿勢などが評価されていた。
尋問書は、神観、宗教観、世界観、伝道の意味、時局の評価、安息日などについて述べ、一種の信仰教理問答となっている。
寺尾は神社参拝は偶像崇拝であり、天皇は神ではなく人間であると明確に答えた。権威については神から与えられたものとして尊敬する一方、神を第一とした。川口氏は「今では当たり前のことでも当時はいのちがけの発言」と指摘。
戦争については、人間の欲の結果で罪悪とする一方、教会では「国の法律制度に従う事が、直ちに神の命に背く事でない」という結論にいたった。国の制度に従う論理は、安息日を守れない場合や、行事参加での「形式上だけ」という説明にも表れた。
川口氏は、森派について「ただ神のみを神とする信仰を貫くことが、国家体制から逸脱させ、弾圧につながった」と評価。一方で「明確な反対、抵抗ではないゆえに、様々な軋轢(あつれき)に対して国の制度に則って対処した」面もあったと指摘。閉じられたコミュニティーの中で、「戦争や国家、社会の様々なことに対して、信仰者としてどのように考えるかと主体的に問うことはおそらくなかった」と述べた。しかし、明確な偶像礼拝の判断は、「知られていなかった森派が知られる意味がある」と語った。
岩崎氏は寺尾の信仰について振り返り、「検挙された多くの人が転向した。信仰を貫いたのは寺尾さんや数人くらい。戦後、ある人に話を聞くと、尋問の中で警官から『心の中で信仰していればいいのだ』と諭されたという」と話した。
質疑の中では、仕事を通じて社会と関係をもてたのではないかということにも関心が払われた。
村田氏は名古屋の森派が戦後、全国の森派信徒の子弟を集めて企業を形成した歴史を話した。「当初は信仰による仕事と生活の一致を努力した」。だが、高度成長の波に乗り会社が大きくなるにつれて、信仰から離れる人が増え、「『豊かさの毒』を乗り越えるのは難しい」と感じた。「戦前の貧しい時代は、共同体意識をもちやすかったが時代によって変わる。文章を残さなかった森先生がどう思うかとも思うが、この記録が残ったことで戦前戦中を振り返えられることは大切」と述べた。
森派の「対処」について川口氏は、「現実との折り合いというのが妥当な表現だと思う。信仰を貫こうとするときに現実と衝突した。主要な教会が『神社参拝は偶像礼拝ではない』と言っていたのとは違う」と述べた。
同書の編集担当者は、「本書の半分が尋問調書だが、全体を通して読み、全文載せることに意味があると思わされた。神のみを神とする信仰を貫いた森派の姿勢を本書で残せた。教会でも信仰を考えるきっかけにしてほしい」と述べた。
最後の挨拶で朝岡勝氏(同盟基督・徳丸町キリスト教会牧師)は、戦時中ホーリネス弾圧で検挙された自身の祖父のことに触れ、「当時の記憶を残す人が減る中で、歴史を継承する責任がある」と話した。