11月8日号紙面:杉原千畝と「2・8」の留学生の時代 早稲田奉仕園スコットホール献堂100周年記念シンポ
千畝と「2・8」の留学生の時代 早稲田奉仕園スコットホール献堂100周年記念シンポ
第二次世界大戦下にユダヤ人を救出した「命のビザ」で知られる杉原千畝、「2・8独立宣言」に関わった当時の朝鮮人留学生たち。彼らはほぼ同時代に早稲田奉仕園と関わっていた。早稲田奉仕園スコットホール献堂100周年記念シンポジウム「若き日の出会い 杉原千畝と早稲田奉仕園〜創設者ベニンホフ宣教師と1920年前後の青年たち〜」が10月25日、同所で開催。ゆかりの研究者らが創設時の宣教師に注目し、その時代の青年たちの歩みを検証した。【高橋良知】
杉原の信仰のルーツは、早稲田奉仕園で開かれた「奉仕園信交協会」(以下信交協会)の活動にある。
学生寮友愛学舎に始まる早稲田奉仕園は、寮生以外にも学びの門戸を開こうと、1917年に奉仕、親交、礼拝を目的とする信交協会を発足。信仰箇条の承認を必要とする入会署名に、早稲田大学生だった杉原の名が19年2月9日付で残る。
この前日には、東京・神田の朝鮮基督教青年会館で朝鮮人留学生による「2・8独立宣言」が宣布されたが、その起草の中心メンバーには早大の留学生が多かった。その一人、宋継白(ソン・ケベク)も18年11月10日に信交協会に入会していた。宋は同宣言を京城(現ソウル)に届け、3・1独立運動につなげた。
「信交協会に入会した杉原も、きっと前日の朝鮮人たちの動きは知っていただろう」と徐正敏(ソ・ジョンミン)氏(明治学院大学教授、同大キリスト教研究所長)は言う。杉原を研究する岩村太郎氏(恵泉女学園大学副学長)は、「親から勘当同然で、仕送りも無く、苦学した杉原にとって信交協会がどのような存在だっただろうか。資料がないのではっきりとは分からないが」と思いをはせた。
杉原は早大を中退して外務省のプログラムでハルビンに留学、24年から外務省で勤務し、ロシア人女性と結婚し、正教会で洗礼を受けた。だがこの結婚は破綻。旧満州での勤務後、35年に東京で幸子と再婚した(翌年、幸子と長男弘樹は東京・お茶の水の正教会・ニコライ堂で受洗)。その後の勤務地リトアニア・カウナスで「命のビザ」の決断をすることになる。岩村氏は「クリスチャンだったから決断できたと単純に理解すべきではない。またナチスに対して積極的に抵抗したのではなかった」と慎重に理解しつつ、「日独伊三国同盟の直前という時代の流れの中で、踏みとどまった勇気は大きなこと。若い時の『神以外のものは何も恐れていけない』という信仰が杉原の心の片隅にあったのではないか」と推測する。
徐氏は、韓国における3・1独立運動と、そのルーツの一つとなった「2・8独立宣言」の意義を語った。「当時の最高のエリート、天才たちが日本に来ていた。彼らが学んだのは人間の自由、民権、人権。武断統治されていた半島に比べ、大正デモクラシーの時期の東京は平和だった。日本での教育を通して独立の未来を考えることができた」と話した。
写真=早稲田奉仕園のベニンホフ像
このような時代の青年たちとかかわった早稲田奉仕園の創立者、ハリー・バクスター・ベニンホフ宣教師は、米国バプテスト派の宣教師だが早稲田奉仕園の働きに特化し超教派で働いた。原真由美氏(日本バプテスト同盟理事)は、ベニンホフ自身が学生時代にフラタニティー(友愛)を掲げる学生寮で養われてきたことを紹介。YMCAなどともかかわり海外宣教を志し、ミャンマーで活動するが、妻の病気で帰国。1907年に、東京へ派遣された。
YMCAのバイブルクラスを担当していたベニンホフは、やがて一人の早稲田大学の学生と出会うことになる。当時、早稲田大学としても、時代的・社会的に不安定な学生たちに向けた、宗教教育や社会活動に協力する意向があったという。08年に友愛学舎が発足。ベニンホフは早大でも教鞭を執り、友愛学舎でバイブルスタディーや読書会、討論会などを催した。「知識だけではなく実践を大事にして、学生たちに互いに愛すること、仕える人になること、自由と責任、自治、義務でなく積極的な信仰による生き方を伝えた」と原氏は言う。
37年に、米国の神学者アーチバルトは「やがてこれらの学生たちは国家の間にある人種的、社会的、政治的な隙間の架け橋になる」と評価した。 原氏は、ベニンホフが悩む学生に寄り添い祈っていた姿などを紹介。早稲田奉仕園の働きを振り返り、「一人で解決できなくても、人と出会うことで、何か新しい、よりよい生き方を見つけていくことができる」と語った。
この日、ファシリテーターを務めたのは友愛学舎出身の植村隆氏(週刊「金曜日」発行人兼社長)。
教鞭をとっていた北星学園大学や韓国カトリック大学での教え子であり、早稲田奉仕園でも学んだカン・ミョンソク氏は動画で宋の歩みや2・8独立宣言、3・1独立運動の意義を説明した。
徐氏は、「日韓関係は一人の人との出会いが重要。歴史も一人一人の出会いが大事」と話した。
来場していた楊原泰子氏(詩人尹東柱を記念する立教の会)からは早稲田付近に居住していた尹と早稲田奉仕園の接点の可能性について、杉原の孫の杉原まどか氏(NPO法人杉原千畝命のビザ)からは晩年の杉原の信仰などが語られた。
植村氏は、「有名無名、様々な人が若い時に早稲田奉仕園で学んだ。そのような人たちの歩みも資料から知っていきたい」と、今後の歴史の発掘にも期待を寄せた。