救世軍を支援し続けた渋沢栄一 晩年山室から聖書講義受ける

救世軍創立者の息子で第二代大将ブラムエル・ブースと握手する渋沢栄一(前列左)。渋沢の後ろに山室軍平の姿も(1926年)(写真提供=救世軍本営)

「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、「道徳経済合一説」を説き続け、実業家として生涯に約500もの企業に関わったと言われている。一方、福祉や教育などの慈善・社会事業に尽力した人物としても知られる。そんな渋沢は、2024年発行の新1万円紙幣の顔となり、2021年放送のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では主人公として描かれるなど、今、注目の人物だ。実は渋沢は、キリスト教、特に救世軍との関わりが深い。渋沢が亡くなる直前には、日本人初の救世軍士官の山室軍平から3回の聖書講義を受けていた。この渋沢と山室、救世軍との関わりについて、元救世軍司令官の吉田眞氏に話を聞いた。 【中田 朗】

吉田氏は「渋沢と山室との関わりは、1907年(明治40)、救世軍創立者ウイリアム・ブースが来日した時に、衆議院議員の島田三郎の紹介で、山室が渋沢に会いに行き、『ブース大将の歓迎会に出てほしい』とお願いしたことから始まった」と語る。「渋沢は歓迎会の発起人の一人として歓待した。山室は何度か打ち合わせのために家に行ったりしている。渋沢の日記には同年3月に『ブース大将歓迎会打ち合わせのため山室氏訪問』との記録が残っている」
次に、ブースとの関わりがあったと語る。「ブースは渋沢に『貧困者のための貧民病院を作りたいが、どうだろうか』と持ちかけるが、渋沢は『それに応えたい』と返答。その後ブースから、当時のお金で5万円(現在では数億円)を送ってきた」
「渋沢は外国人が日本の貧困者のために尽力する姿を見て、自分も何かしないといけないと考え、渋沢が病院建設のための募金のお願いをしている文章が残っている」

救世軍創立者ウイリアム・ブース(前列右から5人目)と渋沢栄一(前列右から2人目)(1907年)(写真提供=救世軍本営)

募金については、こんなエピソードも紹介した。「渋沢は観劇会を2回行い、その収益金を寄付するという計画を山室に相談する。だが山室はこう返答した。『救世軍では、なるべく観劇に行かないよう教えている。救世軍のためとはいえ、見に行け、とは小生の主張とは違う』。それに対し渋沢はこう切り返した。『それが君の主義なら、主義は大切にするが良かろう。ただし、そうして作った金は受け取らないのかね』。山室は『救世軍は種々の人々から送られてきた金は、過不足なく残らず使う。あなたがたがお作りになるお金を、どう作られたか詮議することはない』。その結果、渋沢は2回の観劇で得た収益金8千円余りを、病院建設に寄付。救世軍信者は誰も観劇を見に行かなかったが、8千円は受け取った」
渋沢がなぜ救世軍を支援するのか、山室に言った言葉も紹介した。「実業家は金を作ることを知っているばかりか、どんなふうに使ったらいいかということをわきまえている。あなたのところでは、比較的わずかなお金で大きな事業をなし、金が活きて働いているように見えるから、それで私は熱心に賛助しているのです」
「信仰心を起こさせて霊を救う。しかしパンがなくては何事もできぬので働かせるという。その根本の主旨はどうか知らぬが、その方法が経済道徳の合一と似通っている」という言葉も引用し、渋沢の道徳経済合一説と救世軍が共通する点も指摘。「自分の考え方と救世軍が似通っていると感じ、山室やブースとの交流が続いたのではないか」と推察した。

『渋沢栄一伝記資料』
キリスト教団体についての記述

1931年(昭和6)11月、渋沢は91歳で亡くなるが、同年7月、山室は渋沢に3回の聖書講義をしている。それは山室の意思ではなく、、、、、、

2021年1月3・10日号掲載記事