【神学】コロナ禍の聖餐式 オンライン聖餐は可能か?−私はこう考えます 集まれなくても共に礼拝するために 宗教改革以来 聖別すべきは物素でなく会衆 藤本満

礼拝や諸集会が新型コロナウイルスの感染防止で制限された状況は、集まって神の恵みを分かち合う信仰生活をしてきたキリスト教会にとって、信仰の表現やあり方を改めて本質的に問われる機会となった。この1年、この問題を神学的に考えようとする研究会がオンライン上で盛んに試みられた。中でもパンとぶどう酒(液)という口に入れる物を介する聖餐式ができない、あるいは、どうしたらできるのかということに頭を悩ませてきた牧師は多い。インターネットを通じオンラインであっても聖餐式をしようと考える教会がある一方で、聖礼典のオンライン利用には強い拒否感もある。オンライン聖餐は可能と主張し、実践する藤本満氏(インマヌエル高津キリスト教会牧師)に、その神学的根拠を寄稿してもらった。

 

オンライン聖餐は2週間前から通知し、各自がパンとぶどうジュースを礼拝前に準備する。オンライン礼拝は70分以内に終わるように心がけている。聖餐礼拝の時は、十字架と復活の説教をする。

私が牧会する教会はコロナ禍以前から、健康的な事情やお仕事などの都合で礼拝にいらっしゃることのできない方々のために、礼拝動画をライブ配信してきました。そして聖餐式のある時は、動画配信で礼拝を捧げる教会員の方々には、共に聖餐にもあずかるようにと推奨してきました。
しかし、今は次元が違います。昨年2月末から、礼拝はほぼオンラインとせざるを得なくなりました。緊急事態宣言が発令されていれば、礼拝堂にいるのは牧師と配信スタッフだけです。ライブ動画を視聴しながら共に礼拝を捧げている端末は200を超えてきました。
そのような中で、オンライン聖餐を神学的にどのように考えるべきなのでしょうか?
宗教改革では、聖餐について大きく二つの問題が論争となりました。

(この後「パンとぶどう酒(物素)とキリストの実体との関係」、「物素と司祭・牧師との関係」を考察し、オンライン聖餐の可能性を論じます。2月21日号掲載記事