講演Ⅲ「海外宣教」佐味氏(上) 「私たちの信じる神は宣教の神」 第23回断食祈祷聖会2021④

断食祈祷聖会2021」(同実行委員会主催)が1月11、12日に開催。今年はコロナ禍のためオンラインで開かれ、「開拓伝道」、「児童虐待と家庭形成」、「海外宣教」、「ラディカル・リベラリズム」の四つの講演が行われた。2日目の講演Ⅲでは、OMFインターナショナル日本委員会総主事の佐味湖幸氏が「海外宣教」をテーマに講演した。
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佐味氏は、「小さい頃から海外宣教は身近だった」と語る。「私が所属する福音交友会の教会は、戦後、アメリカから来た3人の女性宣教師によって創設され、彼女たちの指導によって京都から大阪、和歌山に開拓をし、宣教師を送り出すビジョンが与えられた。そのような中で育ったので、小学生の頃から海外宣教のために祈り、宣教のために捧げるとはどういうことかを教えられた。だが、当時は自分が宣教師になるとは思っていなかった」

大学卒業後に参加した宣教視察旅行で、Ⅱコリント5章15節の御言葉が与えられ、宣教師になることに召されていると確信。「牧師先生と宣教師の先生にそのことを話したら、2人とも『私はあなたが宣教師になると思って祈っていた』と言われた。この導きの背後には、このような先生方の祈りがあったことを思わされた」

イギリスで宣教師の訓練を受け、1992年にOMFインターナショナルの宣教師としてフィリピンに派遣され13年間、首都マニラの貧民街での教会開拓と地方の貧しい漁村での地域開発に従事。その後宣教の前線から退き、現在は宣教に関心を持つ人や短・長期宣教に出ていく人を導き助ける働きや、諸教会が世界宣教の働きに取り組めるよう励ます宣教啓発、動員の働きをしている。

「ではなぜ今海外宣教、世界宣教なのか。それは、私たちの信じる神が宣教の神だから」と強調する。「宣教(ミッション)は失われた人への愛、あわれみに動機づけられ、神の情熱によって動かされる。宣教とは一般的に大切な任務のために人を遣わすことだが、神の宣教ということを考える時、『神がご自身のご目的(御心)のために人を召し、遣わすこと』と定義させていただく。イエスは弟子たちに『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい』(マルコ16・15)と大宣教命令を残された。この命令は信仰共同体である教会に引き継がれた。教会は全世界に遣わされ、キリストの再臨の時まで、福音宣教の働きを続けるようにと、神から命令されているのです」

「どこに遣わされるのかについてはあらゆる国の人々のところ。遣わされて何をするのかは、福音を伝え、信じる者をイエスの弟子とすること。今日、この福音宣教は統合的宣教という言葉で表されている」と言う。「1974年のローザンヌ世界宣教大会で、ジョン・ストットが『伝道と社会的責任』を提唱し、言葉と行いの福音宣教は車の両輪と例えられた。2010年のケープタウンでのローザンヌ世界宣教大会では、それをさらに発展させ『統合的宣教』という言葉を使うようになった。このように現在、宣教は統合的宣教という形で理解されている。だが、これは21世紀に新しく出てきたことではなく、イエスの宣教そのものが福音を言葉で伝えるだけでなく罪の縄目や悪霊からの解放、病からの癒やしといった包括的、統合的だったことがうかがえる」

「では宣教のゴールはどこにあるのか」については、ジョン・パイパーの著作から「宣教のゴールは、神の偉大さの中に人々が喜ぶことである」を引用。「これは黙示録7章に描かれているヨハネが見たビジョンに表されている。すべての国民、民族、部族、言語からの人々が主を礼拝する。神のご臨在の下で喜び、祝う。そのために宣教の神は今も人を召し、まだ福音が伝えられていない国民、民族、言語のところに私たちを遣わされる。これが御心であるならば、どのような時代、状況であっても、教会はそのことを最優先すべきではないでしょうか」

一方、「神の御心である世界宣教が教会で語られていないとしたら、何かがおかしいのでは」と投げかける。「私たちは世界宣教のビジョンを持ち、世界宣教のために祈り、捧げ、自分たちの教会から宣教師を送り出すというビジョンを持っているか。私が属する福音交友会も何十年も前に世界宣教のビジョンが与えられ、地域に開拓をし、教会を建てるというビジョンが与えられた。私は29年前に福音交友会の宣教師第一号として送り出されたが、その10年後に一家族がアフリカに、今年は主の御心ならば一人の青年が東南アジアに遣わされようとしている。私たちの教会は決して大きなグループではないが、小さなものを喜んで捧げる時、神様は幾倍にもそれを増やし、祝福し、用いられる。皆さんの教会はどうでしょうか」(つづく) 【中田 朗】