法廷闘争8年 大企業に奇跡の勝訴 「教会は神様の偉大さ体験した」 日本基督教団新松戸教会 「教会がやらなければ誰がやる」に奮起

「少年ダビデがゴリアテに立ち向かっていくような戦いでした」。日基教団・新松戸教会の津村一志牧師はそう振り返る。2012年10月9日、千葉県松戸市にある同教会は、突然火災に見舞われた。焼け跡を見て、製造元のエアコン室外機が出火元であることは明らかだった。だが、ダイキン工業株式会社(以下・ダイキン)は巨大企業。エアコン火災裁判で勝訴した判例もほとんどない。しかし、弁護士の「教会がやらなければ誰がやるのか」のひと言に奮起し、新松戸教会はダイキンを相手に裁判を起こした。あれから8年。裁判は最高裁まで行き、昨年12月1日の最高裁判決では、ダイキンの上告を棄却し、新松戸教会の訴えが認められた。奇跡の勝訴だった。【中田 朗】

火災現場。当時の火災の激しさがうかがわれる

火災は、教会堂での3日間の修養会が終わった直後に発生した。「大変盛り上がった修養会で、それが終わって皆さんが帰られ、遠方から来られた信徒は泊まっていた。私たち家族は疲れて夜中の1時には就寝。2時前後に火の手が上がった」
長男・長女、そして教会に泊まっていた信徒を避難させ、一志牧師と妻、父の友昭牧師はすぐに消火を始めた。だが、火はみるみる燃え広がった。妻と友昭牧師が先に避難する中、一志牧師はギリギリまで消火活動にあたった。それでも火を消し止めることはできず、一家は病院に救急搬送された。特に熱を帯びた煙を大量に吸い気道を損傷した一志牧師は、ICUに3日間入院するほどだった。
建物は11年に献堂式をしたばかりの新会堂で、1年10か月後に火事に遭い、2階はほぼ全焼した。ただ、耐火性の高い建物だったため、「1階の礼拝堂は水損で済んだ。床も10年ノーワックスのコーティングで守られた。おかげで礼拝は一度も休むことなく続けられた」と言う。

出火元のエアコン室外機の後ろの壁穴

ではなぜ出火したのか。出火原因は何だったのか? 一志牧師は言う。「室外機の後ろの外壁に大きな穴が開いていた。それを見て、室外機からの出火以外にありえないと確信した。消防士も『燃え後から見て、火はベランダから室内に入ったことがわかる』と言っていた。ところが3、4か月後に市に開示を求めた火災調査書では『原因不明』と記されていた」
14年、弁護士を通じてダイキンと話し合いの場を持とうとした。だが、応じてもらえず、やむなく裁判に踏み切ることになった。
当初、松戸市内の弁護士に聞いたところ、最初の反応が「厳しい」だった。PL法(製造物責任法)を扱った裁判では、証拠不十分で却下されるケースが圧倒的で、消費者は泣き寝入り、企業側が勝訴のケースがほんどだとも言われた。
そんな中、山口広弁護士と出会う。山口氏は統一協会側と戦い、最高裁で全面勝訴を勝ち取った弁護士だ。その山口氏が「教会がやらなければ誰がやるのか」と背中を押した。一志牧師たちは裁判を決意。弁護団にはPL法の専門家である中村雅人弁護士も加わった。

すすがこびりついたままの屋根裏

とは言え、企業側の弁護士は20人、教会側は5人の弁護士に機械に詳しい技術者1人の6人。弁護士たちも「勝てるかどうか分からない」と弱音を吐いたこともあった。
ダイキン側は「この火災に、我々は関係ない」と高飛車だった。「この態度が私を奮起させた」と一志牧師は言う。「火災調査報告書の『原因不明』、ダイキン側の態度といい、その背後に働く悪と戦っているという感覚を覚えた」と話す。
裁判中、信徒たちは祈りで支えた。火事があっても教会を離れなかった人たちだ。友昭牧師は言う。「少ない人数で『勝てるはずがない』から始まったが、皆、神様は必ず祈りを聞かれると確信していた。祈らなきゃ、勝たなければ大変、という思いが強かったと思う。裁判で信徒の意識が変わった。裁判が進む過程の中で、神様は生きていることが明らかにされた」
裁判中、一志牧師、友昭牧師と弁護士たちは、100回にも及ぶ話し合いを重ねた。その時には必ず祈りもささげた。18年9月、初の東京地裁での判決の法廷で、証言台に立った友昭牧師は「裁判官が正しい判決を出すように」と祈った。地裁判決では、教会側の訴えが認められ、ダイキンに496万円の支払いが命じられた。
ダイキンはすぐに上訴。「2審では、彼らは室内から室外に火は燃え広がったと苦し紛れの説明をするようになり、明らかにあわてていた」と一志牧師は振り返る。

左から津村一志さん、友昭・悦子夫妻

20年2月、東京高裁の判決があり、ここでも教会側が勝訴した。そこで裁判官から和解を勧められたが、ダイキンは上訴を選択。一志牧師は「『神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。』」(ローマ9・18、新共同訳)の御言葉を思い出したという。「これは法的な戦いと言うより、私たちにとっては霊的な戦いでした」。12月、最高裁判決で全面勝訴した。「神様のご加護があった」と、弁護士の口から漏れた。
8年にわたる裁判は、心身ともにこたえた。友昭牧師は「牧師3人だったから、乗り切れた」と話す。「何より、この判例を残すことができたのが大きかった。今後、同じような裁判でこの判例が適用される。そういう意味で、国を変えていくという働きに参与できた」
一志牧師は「このことで、神様はどれだけ偉大な方かを体験した。これで終わりではない、神様は次のステージを用意してくださっている。ますます主を畏れる心で進んでいきたい」と先を見つめた。

礼拝堂。コロナ対策でパーテーションが各テーブルに置かれている
住宅街の一角にある新松戸教会