「10年前を思い出した」、「揺れは今回のほうが強かった」、「原発が不安」…。2月13日深夜、福島県沖を震源地とする震度6強の地震が発生し、東日本各地で被害、交通への影響があった。今回の地震は、10年前の東日本大震災の余震と判明。当時のつらい記憶がフラッシュバックする人々もいる。福島県のクリスチャンに、今回の地震発生の様子と心境を聞いた。

相馬市のある信徒宅で。物が散乱している室内の様子

南相馬市の接骨院・鍼灸院院長の冨澤利男さんは、「本当に10年前の記憶が思いだされる大きな地震。大津波が来るかと心配したが、守られた。本当に良かった。自宅は食器など壊れたが、そんなことは問題ない」と話した。
JR原ノ町駅近くの自宅から北に約10キロの鹿島地区に、趣味の陶芸の作業場があるが、被害を受け、薪窯が完全に崩壊した。ただ「もう一度小さく作り直そうと思っていたので良く考えれば手間が省けた」と前向きにはとらえる。
「もし避難指示が出たら、どうにもならないパニックになった」と言う。「この相双地域(相馬郡、双葉郡地域)には避難する道路が無い。原町からは西に抜ける道路は1本、小高(原町から南に約10キロ)、原町、鹿島地区の人間が避難する道が1本のみ。これでは福島市まで数珠つなぎの大渋滞となり、行くにも戻るにも動けない状態になる。避難することは不可能です」
復興の在り方や今後についても率直な思いをこう述べた。「国も原発の処理水、そして避難する道路建設に向けて10年前から取り組むべき課題を後回しにし、オリンピックなどとのん気なことを言っていると思うと怒りが込み上げてくる。世界中で異常気象が発生し、日本でも、どこでどんな災害が起きても不思議ではないので どうぞ備えをしていてください」
いわき市の住吉英治さん(同盟基督・勿来キリスト福音教会牧師)はこう語る。「本が少し落ちる位で、大きな被害はなかったが、地域によっては結構大きな被害が出ているよう。津波の心配をして逃げる準備をしたが、津波の心配はないとのことで安心した。原発は大丈夫かと心配したが、一応東電によれば大丈夫とのこと。信用はしていないが、一応安心。避難せずに済んだ。なぜ何度も何度も福島なのかと思いました」
福島市在住の岸田誠一郎さんは地震発生当時、自宅のパソコンで作業をしていた。家具から中の物が飛び出し、幾つかの物が落ちた。2階の網戸も外れた。「一瞬、線量計、カメラ、貴重品をもって、移動できるように身構えた。14年に福島へ来てすぐに、震度5の地震は体験したが、私がこれまで経験してきた中で、いちばんの揺れになります」
翌日街中に出ると、「一見普通通りだったが、プロック塀が崩れていたり、休業している店舗がちらほちらあった。地盤や建物の構造の違いなのか、明暗が分かれている」と感じた。「原発は大きな異常はないとのことだが、これだけの揺れなので、注意深く見ていくことが必要」と警戒した。
郡山市の木田惠嗣さん(ミッション東北・郡山キリスト福音教会牧師)は、「揺れが半端ではなかった。久しぶりの大きな地震だったので、10年前のことがフラッシュバックした」と語る。「書斎がめちゃくちゃ。月曜に半日片付けしたが、まだ終わらない。教会員も食器が割れるなどの被害があった。日曜日に礼拝はしたが、片付けのため欠席した人もいた。地域によっては停電、断水したところもあります」
「土曜の夜は、たくさんの人がガソリンスタンドに並んだらしい。前回の地震の教訓があった。幸い10年前と違っていたのは、翌朝ちゃんとガソリンスタンドが開き、食料もお店から無くなっていない。新幹線が運休したり、高速道が不通になるなどもあった。日曜は、私は福島市で奉仕し、郡山には仙台から説教者を招く予定だったが、それぞれ予定をキャンセルしました」
「10年目の余震に驚く。東日本大震災直後でも、震度6を超える地震はほとんどなかった。いまだに余震が続くとは、10年前の地震がいかに大きかったかと思い知った」と振り返った。
久保泰昭さん(インマヌエル郡山キリスト教会牧師)は「私の感覚では10年前の3・11に匹敵するほどの強い揺れだった」と話す。「時が経つにつれ、教会員の住む地域によって被害が大きかったり、あまりなかったこともわかってきた。教会は建物が二つあるが、会堂玄関と別館の外壁に数か所の亀裂が入った。一階はピアノが30センチ動いた程度だったが、二階の牧師の居住部分は、本棚の本が落下して散乱し、台所の食器のほとんどが粉々になり、冷蔵庫はふたが開いて中の物が全部出てしまい、電子レンジやオーブンが床に落ちた。会員で、飲食店やスーパーを経営するところも物の落下などで多大の被害が出ている。教会だけでなく、周りの家々も似たような状況だと思われる。県内でのケガ人は80人を超えた。これらのことのためお祈りをいただきたい」と語った。