東日本大震災から10年  教会の地域救援協力が浸透

写真=2011年3月22日、岩手県陸前高田市での救援活動

2011年3月11日の東日本大震災発生から10年。大地震、大津波に加え、東京電力福島第一原子力発電所事故は人々にいまだ傷を残し続けている。

死者1万9千729人(関連死含む)、行方不明者2千559人(数字は復興庁)に及び、多くの人々が大切な人、ふるさと、コミュニティーを失った。

地域にあっては少数のキリスト者だが、国内外の協力で多様な支援活動を展開してきた。その営みはその後の災害対応はもとより、教会と地域・社会とのかかわり、教会協力の在り方にも影響を与えた。初期の様々な働きの出発点と土台を振り返りながら、今後を展望する(3、 4、5、 7、 8面に関連記事)。

写真=2021年1月9日、福島県双葉郡双葉町沿岸
東日本大震災・原子力災害伝承館付近の様子

 

安否・救援情報共有

震災発生初期段階は安否や必要物資の情報が中心。津波被害では宮城県の保守バプ・気仙沼第一聖書バプテスト教会単立シーサイド・バイブル・チャペルが会堂流出。兄弟団・石巻キリスト教会聖協団・宮城聖書教会などで浸水。ほかにも全壊、大規模半壊となる会堂が多数発生。信徒やその家族・親戚の被害もあった。
翌12日までに原発事故が明らかになると、福島第一原発に最も近い保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会の信徒らは緊急避難。3月末まで山形の教会で集団滞在した。
当時普及しつつあったフェイスブックでは、「クリスチャン地震被災状況」ページが立ち上がり、活発な情報交換が行われた。甚大な津波被害のあった陸前高田市の日本ベテル・ミッション陸前高田キリスト教会の安否は15日に確認された。ゴスペルシンガーMigiwaの呼びかけで12日から毎晩8時に祈るという取り組みも広がった。

初動の救援・視察

12日には世界バプテスト連盟から救援先遣隊が来日、13日までには日本国際飢餓対策機構(JIFH)やワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)が現地へ救援を開始。関西フランクリン・グラハム大会のつながりで、米国に本部を置く救援組織サマリタンズ・パースは15日に先遣隊を派遣。国内の宣教師らの動きも早く、長老教会・おゆみ野キリスト教会グレースシティーチャーチ東京なども救援隊を派遣した。岩手でも早い段階で青森方面の宣教師らが視察・救援を始めていた。各教団教派は関係者の安否調査、先遣隊の派遣などを進めた。

写真=2011年4月24日号から。気仙沼第一聖書バプテスト教会の様子

超教派の連携

初期1、2週間は各教会、教団教派、有志チーム中心に動いたが、やがて超教派の連携が進む。仙台キリスト教連合は、関係する神父の葬儀をきっかけに15日から会合を開き、18日にはJIFH、WVJ、クラッシュジャパンなど救援団体を交えた準備会合、24日に仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)が正式に活動を始めた。さらに9月には宮城宣教ネットワークが設立された。
岩手方面では、17日、21日に岩手県の牧師や青森県の宣教師らが沿岸部を視察。23日までには「ホクミン」(北海道クリスチャン宣教ネットワーク)、千葉県の「ユナイテッド・プロジェクト」が加わる。24日には「3・11いわて教会ネットワーク」が立ち上がった。
教団教派や団体の本部が多い東京都のお茶の水クリスチャン・センターでは、被災地と支援団体を結ぶ「東日本大震災救援キリスト者連絡会」(後の災害救援キリスト者連絡会=DRCnet)が25日までに立ち上がった。3月末までには青森県で「3・11あおもり教会ネットワーク」が設立され、岩手県を支援。4月に入ると被災者、支援者ともに疲れが目立ち始め、「心のケア」のセミナーなどが始まる。東北ヘルプは諸宗教と協力して弔いの働きを始めた。
4月1日にクラッシュジャパンは、長期的支援を見据えて、ボランティア説明会を実施した。
救援活動では、教会が物資の配給や炊き出しの場所となり、キリスト者に出会った人々の中には礼拝に参加する人も現れた。
4月18日には福島沿岸で、「いわきキリスト教会連合震災復興支援ネットワーク」(いわきCERSネット)が設立。仮設住宅支援ほか、食品放射能計測にも取り組んだ。5月に内陸の福島市で祈り会が始まり、「ふくしま教会復興支援ネットワーク」が立ち上がる。11月には県レベルの連携をはかり、「福島県キリスト教連絡会」が設立された。東北ヘルプなどと協力して子ども保養プロジェクトふくしまHOPEプロジェクトなどが始まった。
(以上、本紙WEB版アーカイブほか、『3・11ブックレット』シリーズ、『流浪の教会』シリーズ、『FCCブックレット』シリーズ、『フクシマを共に生きる』各いのちのことば社などを参照)