南米アルゼンチン出身の世界的伝道者で、日本でも1990年に沖縄と大阪で国際大会が開催されたルイス・パラウ氏が、3月11日、米国オレゴン州ポートランドの自宅で肺がんのため亡くなった。86歳だった。アシスト・ニュース・サービス(ANS)が伝えた。

パラウ氏の国際大会を報じる本紙1990年10月28日号

 

 

【ANS】パラウは、65年以上にわたり、80か国以上の国においてテレビ、ラジオ、印刷物、そしてライブイベントを通して10億人以上の聴衆にキリスト教の明確な事例を提示した。

1934年11月27日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス郊外の小さな町、インヘニェロマシュヴィッツで生まれ、12歳でイエス・キリストを信じ、10代の頃から街角で説教を始め、19歳までには自分のキリスト教のラジオ番組を持っていた。

ミニストリーの早い段階で、パラオはビリーグラハム福音伝道協会のインターンを務め、時にはビリーグラハム牧師のスペイン語通訳者を務めた。パラウ自身のミニストリーを開始するにあたっては、グラハム氏と彼のチームは重要な役割を果たし、最終的に1978年に彼自身の伝道組織を始めるまで支援した。

彼は母国であるアルゼンチンとラテンアメリカ全体に特別な思いを持っており、長年にわたる仕事の多くはスペイン語圏に焦点を当てていた。スペイン語の2つのラジオ番組は、何十年にもわたって放送されてきた。彼は、数十人のラテンアメリカの統領、独裁者、国家元首とイエス・キリストの福音を個人的に証しした。

彼の福音への情熱は、ラテンアメリカを超えて世界中に広がり、数十年にわたり、ニューヨーク市、ブエノスアイレス、ロンドン、マドリッド、シンガポール、香港、カイロ、メキシコシティなどの主要な世界都市での歴史的なキャンペーンを含め、80か国以上で500以上の伝道キャンペーン、フェスティバル、集会を開催してきた。

70年代から80年代にかけて、パラオは旧ソビエト連邦内で霊的な集会を行うことを許可された数少ない外国の説教者の1人であり、1991年に鉄のカーテンが開かれた時に、同地域で初めて野外集会を行なった者の一人だった。中東とアジアの「閉ざされた」国でも同様の集会を行った。

大都市での伝道活動に加え、彼のミニストリーはスペイン語と英語の両方で3つの国際的なラジオ番組を毎日行うほどに成長し、48か国以上に及んだ。地域社会との関わりを深め、ソーシャルメディアを通じて毎年何百万人もの個人に届く伝道活動を行った。

葬儀は、オレゴン州ポートランドで開催され、www.luispalau.orgで一般向けにライブストリーミングされる予定。