イエスの涙を覚えつつ─3・11に寄せて/フィリップ・ヤンシ―

イエスの涙を覚えつつ─3・11に寄せて/フィリップ・ヤンシ―(米国ジャーナリスト)

悲しみを分かち合う主

私たちの記憶のカレンダーには、9月11日や12月7日など、いつまでも傷として残っている日があります。そして今年は、3月11日がそんな1日として加わりました。この日は、コロナウイルスのパンデミックが宣言されて1年となる日ですが、それだけではありません。日本の沿岸部を壊滅させたあの津波が襲った日から10年なのです。その時押し寄せた津波のうねりは一瞬にして破壊をもたらし、遠ざかっていきました。一方、パンデミックのうねりは、いまだ世界中に大混乱をもたらしています。
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2011年の津波は、歴史上最も多大な損害をもたらした自然災害として位置付けられます。日本は、防波堤の建設、道路の再建、そして津波によって破壊された建造物の撤去に、30兆円を費やしてきました。一方、福島原子力発電所では、放射能汚染を抑制し、より壊滅的なメルトダウンを起こさないように、小さな軍隊とも言えるほど多くの作業員が、いまだに毎日の作業報告をしています。
私はその地域を二度訪れました。津波の翌年には、仮設住宅に避難するいくつかの家族と出会い、サマリタンズパースや他のキリスト教団体の救援活動を目にしました。6年後に再訪した時は、一人の牧師とともに福島にある彼の廃墟となった教会を訪ねました。そこは、かつては近代的な都市であったのに、現在は不気味なゴーストタウンです。最初の時も2回目も、私を案内してくれた人たちは、2011年の被害を、数字を挙げて述べ立てました。41万台の車が破壊され、1万9千人が死亡し、50万もの家屋や建物が全壊または半壊したと。

2018年2月に避難区域にある福島第一聖書バプテスト教会を訪問したヤンシ―夫妻。佐藤彰牧師(右)の説明を受ける

ただし、これらの数字は、被害を受けた人々については何も語りません。地元のガイドが私を小学校に連れて行ってくれました。そこでは、105人の生徒のうち74人が亡くなりました。学校の裏山に逃げるよう、教師が指示するのが遅れたためです。遅すぎたのです。子どもたちは雪の地面を必死にはい上がりましたが、最初の波が襲った時には、足元をすくわれ、確かな死が待つ水の中に滑り落ちる以外ありませんでした。私は学校の階段に立って、その様子がはっきりとわかる位置から撮影されたビデオを見ました。死の波が音を立てて押し寄せる背後では、子どもたちの叫び声が聞こえていました。
近くの体育館は、泥やがれきから回収された子供たちの遺品を所蔵する即席の展示場になりました。1年の間ボランティアたちは、教科書、人形、塗り絵、ぬいぐるみ、学校の書類、スクラップブック、ばらばらの写真、どんな物でも、失われた子どもたちの思い出につながる品を、丹念に泥を落としてきれいにしました。そこで私は、悲しみに襲われた母親に会いました。彼女は、がれきの詰まった箱を黙々と、一つ一つ調べていました。一年たっても彼女はまだ体育館にやって来ては、どこかに娘の遺品が無いかと、探し続けていました。その姿は今でも私の脳裏に焼き付いています。
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ここしばらく私は、イエスの癒やしの奇跡についての福音書の記述を見直しています。パンデミックや自然災害の時に、そこから学べることは何でしょう。個々の癒やしの事例は20以上、失明、難聴、浮腫、麻痺、慢性出血、発熱、悪霊、萎えた手などさまざまな病気や障害に及び、そして死人を蘇らせた三つの事例です。
しばしばイエスは、「病気や苦しみや悪霊に悩む多くの人たちを癒やし」(ルカ7・21)とあるように、癒やしの大イベントを行いました。これは彼を大変疲れさせたようで、その後では、押し寄せる群衆から逃がれて丘の上で一人になったり、湖の対岸に渡ったりするのが常だったようです。むしろ彼は一対一の個人的な接触を好みました。

福島で講演するヤンシ―氏(左)

イエスは、頼まれれば誰でも癒やしました。一度たりとも「生まれつき盲目? 今さら脳の神経をつなぐなんてできません」とか、「死んで4日も経ってるんじゃ、すいませんが、どうしようもありません」などと言って、彼らを拒むことはなかったのです。イエスは私たちを悩ます最悪の病気すら治す力を持っていましたが、荒野で人が驚くような奇跡を起こすように誘惑された時には、その力を見せようとはしませんでした。彼の起こす奇跡は、特定の場合に、大抵は純粋な思いやりに促されたもので、決して口外しないように、と言うのがしばしばでした。
同様に、イエスは嵐を叱りつけ、弟子たちを怖がらせていた波を手なずける力を持っていました。だからと言って、台風やハリケーンを─そして津波を─引き起こす自然のプロセスを、その後何世紀にもわたって変えていません。
C・S ・ルイスは、自然界を「甘やかされて育った良いもの」と表現しました。2011年に非常に破壊的な力を持つことが証明された地殻変動ですが、そもそもはその地殻変動が日本の島々を形成したのです。ウイルスは地球上で最も豊富で多様性のある存在ですが、ウイルス学者の推定によれば、病気を引き起こすのはその1%に過ぎないにもかかわらず、たった一つの変異株だけで世界を屈服させることができるのです。
「被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをして」いると、パウロはローマ人に語りました(ローマ8・22)。私たちが住む地球の状態について何の幻想も持っていません。私たちが唯一望むのは根源的な介入です。それはある日「被造物自体も、滅びの束縛から解放され」(21)るという、いわば宇宙的な再生なのです。イエスの奇跡、特に復活は、その回復された被造物がどんなものか、興味をそそる手がかりを提供してはくれるものの、現在私たちを悩ます苦しみを今すぐ解決してはくれません。
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マコト・フジムラの新しい著書『芸術と信仰』は、人間の苦しみについての新しい見方を垣間見るためのレンズとして、聖書の最も短い1節「イエスは涙を流された」(ヨハネ11・35)に焦点を当てています。ラザロの姉妹たちの悲しみに心を動かされたイエスは、彼らと一緒に泣きました。その直後に復活という劇的な行為によってその悲しみが解決することを知っていたにもかかわらずです。そしてまた、イエスはその奇跡がせいぜい一時的なものであることも知っていました。なぜならラザロは最終的には再び死ぬからです。
イエスとの出会いから約30年後、マリヤとマルタが兄のベッドサイドに集まったという幻想的なシーンが私の頭に浮かびます。ラザロは再び死にかけており、あの時の悲しみが戻ってきますが、今回は違います。イエスに対する苦々しい思いは、もう持ってはいません。なぜなら彼らは、イエスがこの星を癒やすという神秘の一部として彼自身が通ったものを、苦しみのうちに見たからです。そう、彼らは兄と30年ものボーナスの時間を過ごしましたし、その兄が墓穴からミイラのように出て来て以来、彼らはイエスが父の許に戻って彼らのために、そして私たちのために、場所を用意するという約束を疑っていないのです。
奇妙なことに、彼らはイエスがラザロの墓に寄りかかって、すすり泣きで震えているというイメージを最も痛切に覚えています。イエスは、すぐ先に明るい未来があることを知っていましたが、彼らはそれを知らない、ということも理解していました。信仰が無いと彼らを叱るのではなく、ともに涙を分かち合ったのです。数日または数週間のうちに、彼らもイエスの涙を分かち合うことになります。なぜなら、ヨハネの11章は、ラザロの復活をイエス殺害の筋書きに明確に結び付けているからです。
学校の体育館で箱の中のがれきを探し回るあの母親を思い出します。日本人らしく、周りに気付かれないよう控えめに泣いていました。おそらく彼女は、娘の失われた遺品をその寝室に置きたくて探していたのでしょう。その部屋はあの時以来ずっとそのままなのです。彼女が座っていた学校は、亡くなった子どもたちの名前を銘板に刻んで、恒久的に記念しています。彼らが逝った7年や8年ではなく、永遠に生きているかのように。私たちが愛する人は、私たち人間の記憶の中で生き続けるのです。
悲しみを元に戻すことはできません。それでも、全能の神が、私たちを記憶の中で生き続けさせるだけでなく、新しく永続的な状態に復活させる力を持っていることを願うことはできます。「いつの日か私たちが神と一緒に笑うことができるように、神は私たちと一緒に泣くのだ」と神学者のユルゲン・モルトマンは言います。ラザロの復活とイースターは苦しみの問題を解決しませんが、先にある解決を指し示してはいます。その時が来るまで、イエスは涙を流すのです。
(2021年3月掲載のヤンシー氏ブログより、抜粋、要約:編集部)