【67創刊⑥】再掲 「胎児のいのち」守る活動追い 小さないのちを守る会
2017年の記事を再掲します。肩書は当時。
「胎児のいのち」守る活動追い 小さないのちを守る会
胎児もかけがえのないいのちであることを覚え、予期しない妊娠をした人を助け、中絶防止、養子縁組の相談、啓発、中絶経験者へのフォローなど、キリスト教精神に基づいて活動してきた小さないのちを守る会(PLJ〔Pro Life Japan〕=辻岡健象代表=)。クリスチャン新聞では、1984年にPLJ発足後、すぐに記事で紹介。以来、様々な角度からPLJの働きを紹介してきた。98年には1月4日新年号でPLJの特集を掲載し、以後、PLJ特集は、本紙新年号の目玉特集として毎年恒例となっている。
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PLJは、東京・千代田区のお茶の水学生キリスト教会館(現お茶の水クリスチャン・センター)で1984年5月28日に開かれた設立総会で、正式に発足した。本紙はそのことを、「堕胎天国にブレーキ」「『小さな命を守る会』発足」「事務局長の辻岡健象師を選任」「聖書に基づいた性教育を推進」との見出しで、6月10日号で報道=写真左上=。記事では「同会発足のきっかけとなったのはアメリカの中絶をめぐるレポート映画『ママ、どうして?』〜いのちは誰のもの〜(日本語版制作・クリスチャンAVセンター)の日本公開であるが、『この問題の研究と実際的な活動のために、日本でも誰かが何かを始めなければならない』と言う声が教界に起こり〜正式発足にこぎつけた」と記している。
「その時は、クリスチャン新聞で記者をしていた稲垣久和先生(東京基督教大学教授)が取材してくださった。これは絶対に記事にしないといけないということで、1面トップで載せてくださった」と辻岡さん。自身も記事の中で「この問題を社会に訴えてさらに教会形成につなげていきたい」と決意を語っている。
しかし、初期の頃は、一般メディアのほうがPLJの働きに関心が高かった。辻岡さんらは、11週目の胎児を中絶する現場のフィルムを入手し、日本語翻訳した映画「沈黙の叫び」「ママどうして!?」を持って教会を訪問し、啓発活動を開始。だが、教会のほうは反応が鈍く、むしろ週刊誌の「女性自身」「婦人公論」「アエラ」、朝日新聞など一般のメディアのほうが次々に記事を載せていった。
教会の反応が鈍かった理由を、辻岡さんはこう分析する。「74年のローザンヌ世界キリスト教会議で、『クリスチャンは地の塩、世の光にならなければならない』と、クリスチャンの社会的使命と責任が打ち出され、PLJはその宣言によって始まった。だが、当時は『教会は福音だけ語っていればいい。教会が社会のことに関わると堕落する』という風潮がまだまだ根強かった。日本におけるクリスチャンの社会的使命としての働きは、PLJが第一歩だったのかもしれません」
ただ、理論武装はできていたとも語る。常任委員には、キリスト教哲学専門の稲垣、キリスト教倫理の多井一雄、医師の長崎太郎、牧師の三森春生、齋藤篤美の各氏らが名を連ねた。「実際、動き始めた時、いろんなことがあった。でも背後に理論武装があったので一歩も引かなかった」
社会的使命と責任の実践を宣言
本紙は設立後もPLJの活動や、中絶問題について取り上げている。その象徴的なものが、88年11月13日号に掲載された、中絶反対を訴えた原宿キャンペーンの記事だ。10月30日日曜日午後、辻岡さんと家族5人とPLJ会員3人は、原宿の歩行者天国で中絶防止のゼッケンを胸に付け、キーボードで賛美し、トラクト配布をしていた。そこに十数人の若者が「アンタたち何やってんの!」と抗議し、し始めた。
遠巻きに群がる何百人もの前で、ハンドマイクを使っての中絶賛成・反対の激論。同行した本紙記者はこう伝えている。
「『殺人者呼ばわりするが、中絶せざるを得ない女の立場どうなるのか』『社会構造を問題にすべきだ』などと、若者たちの一団が詰め寄る一幕も。論議は暮れなずむ歩行者天国終了まで一時間余、平行線をたどったが、同会が中絶に反対するだけではなく養子あっせんや法改正のためにも活動していることを事務局長の辻岡健象師が説明すると、『いのちを大切にという点では案外、互いの言っていることは違わないんじゃないか』と言う声も…」
辻岡さんはこの時、「今まで胎児からの発言がありましたか。私は胎児の代弁者です」と論破。「まさに神様からの知恵だった」と当時を振り返る。
PLJの活動で忘れてはいけないのが、PLJ会員でもある故・菊田昇医師のことだ。日本では優生保護法により中絶が認められているが、菊田医師は妊婦に中絶を思いとどまらせ、出生証明書を偽装、生まれた赤ちゃんを子宝に恵まれない夫婦に無償であっせん。それを公表して、「菊田医師事件(赤ちゃん斡旋事件)」を起こした。だが、法律に触れても赤ちゃんの生命を救ったことの是非を問う議論を巻き起こし、後に養子を戸籍上、実子と同様に記載する特別養子縁組制度へと実を結ぶ。本紙88年1月17日号では、辻岡さんの寄稿という形で「血縁至上主義より愛情至上主義(これこそまさに聖書が教える愛といのちです!)に国が法改正したというかつて法律専門家さえ信じることが出来なかった特筆すべき歴史的な年です」と伝えている。
98年から、本紙では新年号でPLJの特集を組んできた。そこでは、中絶を願う妊婦を説得し養子縁組で奔走する辻岡夫妻の姿や、新生児を養子として受け入れる側、送り出す側、出産を手伝った産婦人科医師など、様々な角度からPLJの働きを紹介してきた。「PLJの特集は、新人記者の担当だったので、いろんな記者さんと関わることができた」と辻岡さんは感謝する。
PLJの会員は現在3千人を超えた。教会が社会的使命を果たすことも、PLJの活動をきっかけに定着してきたのではないか。否、「小さないのちに関わると、救われる人が多い。この働きは、やっぱり宣教なんです」と、辻岡さんは力を込める。
本紙はその歩みと歩調を合わせながら、今後もPLJの活動を通して、キリスト者が社会的使命を果たすことの実際を報道していく。【中田 朗】(8面につづく)
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50周年を迎えた2017年には、4回の特集、2回の記念集会を実施しました。改めてこの50余年の報道の歴史を通して、戦後の諸教会の宣教の一端をご覧いただければ幸いです。
※毎週火曜、土曜に本オンラインで掲載します