5月9日号紙面:定年後ふるさとを活性化 80代、集落唯一のクリスチャンの挑戦
日本の65歳以上の人口比は28.4%(2019年)。2050年には36%を超すとも言われる。高度成長期、都市部郊外に集中した大量の人々の高齢化が進み、農村部では過疎化が進行する。こんな中、都市部の重工業会社で定年まで勤めた後、故郷で新たに農業を始め、地域の活性化に尽力する鳥井正夫さんの歩みは、日本のこれからの在り方に様々なヒントを与えそうだ。
都市と農村の交流促進がカギ 故郷徳島で農業始めた鳥井正夫さん
徳島県を東西に流れる吉野川、その支流穴吹川は「四国一」とも言われる清流だ。川沿いのJR穴吹駅から約3キロ上流に仕出原(しではら)という民家15軒の集落がある。この集落唯一のクリスチャン家庭の鳥井正夫さん(84歳)は、定年(60歳)後、故郷で農業を始めた。
まだ「占領すべき地」は残されている
父親は元職業軍人で、戦後この地にハッサクを植えた。集落の大半もハッサクを育て、「しではらのハッサク」は徳島県の「特撰ブランド」にも数えられるようになった。ただ初期のハッサクは古木化し、全体数は減少。さらに地域の最大の問題は「後継者不足」だ。
市から委託を受けて、自治会運営で川の家「リバーサイドしでの家」を始められたことは幸運だった。夏を中心に開業し、農産物・加工品の販売、ブルーベリー農園体験などを提供し、川遊びやキャンプもできる。「四国、中国、関西地方一円から観光客が訪れる。もともとはよそ者に排他的な風土があったが、都市部の人たちとの交流で外に開かれてきた。お金以上にそのことが大きいと思います」
中学時代から親戚を頼って東京に出て、旧住友金属工業で定年まで35年間勤めた。在職中に父が亡くなったので、農業を学んだのは帰郷してからだ。「退職後はすぐに故郷に戻るつもりだった。感じるのは人間は『土』から切り離して生きていけない動物ではないかということ。妻は都会育ちだったが田舎や農業に関心を持ち、喜んでくれたのは感謝なことです」
集落は、いわゆる「限界集落」と呼ばれる「平均年齢65歳以上」に近づいている。産業が限られ、若い世代は関西、関東、九州などに流出した。「母校の小学校も数年前に廃校になりました」
そこで構想しているのは、農業を中心に都市部からのIターン、Uターンを誘発する取り組みだ。冬のハッサク、夏のブルーベリーに加え、秋の栗園を準備中だ。「春にもイチゴやハウス栽培などができそうだ。『しでの家』は現在年間5か月しか営業できていないが、年間を通して営業できれば産業が広がる。空き家を活用して暮らしを体験してもらうことも考えている。まずはそれぞれの家族、親戚など信頼関係のある人から誘っていければ」と話した。
皆が競争相手の時代
鳥井さんがキリスト教信仰に出会ったのは40 歳のころだった。当時は高度経済成長期。先輩からは「皆が競争相手だ」と奮起させられた。「競争に勝ち抜くためには健康で、人望があり、能力がないといけない、強くないといけない。それが当然のことだと思い込んでいました。信仰や宗教には関心がありませんでした」
「鉄鋼業は花形の仕事で順調でした。和歌山製鉄所を振り出しに10年後鹿島に転勤、新しい製鋼工場の立ち上げにかかわり、過労とストレスで十二指腸潰瘍を発症し、入院手術をすることとになってしまった。十二指腸と胃の下から三分の二切除しました」。
40日後に職場に復帰して驚く。「自分がいなくても職場はうまく回転しているではないか。『いったいおれは何だったのか!』。この時私は自分の高慢が打ち砕かれ、自分の真の姿に気づかされた。『競争に負けた!』。この挫折が私を変えました」
妻は1年半前にクリスチャンになっていた。学生時代に友人に誘われ、教会に通っており、結婚式も教会で挙げた。結婚後に再び教会に行くようになっていたのだ。
当時、日曜日は、妻を教会に送り、礼拝中は、車の中で寝そべっているか、趣味のラジコン飛行機に没頭していた。大病を経て、礼拝に出席すると、牧師は「奥さんがあなたのために祈っていることを知っていますか」と尋ねた。それは鳥井さんがクリスチャンになることだった。
大病の影響で、精神は不安定になっていた。妻と一緒に礼拝に出席を続けた。ところが大阪の転勤が決まった。「午前に洗礼を受けて、午後には列車で大阪に移動するという見切り発車のクリスチャンでした。本当に何もわからずスタートしました。すべてわかってから信仰を持とうとしてもいつまでたってもできません。イエス・キリストがいる、そこにかけて一歩踏み出せばいいのです」
信仰尊重し責任は担う
集落でただ一家庭のクリスチャンとして、どのようにかかわっているか。「昔ながらの念仏講で、弘法大師に由来する『御大師講』が、毎月順番に回ってくる。念仏だけでなく、地域の連絡事項を伝えたり、協議する場だ。私は初めから、『自分の信仰は絶対に守りたい。しかし人の信仰はお互い尊重したい』と立場をはっきりさせた。私のところに講が回ったときは、念仏の代わりに、子どもがいた時代はキリスト教の人形劇をやっていた。今は大人ばかりなのでキリスト教にかかわる人物のDVDを上映したり、12月には、ローソクを飾ってキャンドルサービスをしたりしました」
もう一つ課題は、共同作業だった。「村道の草刈りなどは、日曜に実施することが多い。私の場合、自分の土地周辺は平日にやるようにした。だんだんと『鳥井を日曜に駆り出してはいけない』と認めてもらえるようになった。村八分ということはなく、やれないことはあっても、それ以外の部分を一生懸命やるようにした。自治会でも、助成金の事務など、行政とかかわる面倒な部分を、もともと会社勤めで慣れていることもあり、率先して担った。最近は高齢なので、いくつかの仕事はやめるようになったが、ここで骨を埋めるつもりでいるからやれることはやりたい」
宣教センターの働き
「村おこし」とともに力を入れているのは教会の働き、特に所属するキリスト伝道隊の多目的宣教センターとして16年に設立された「三公(みきみ)記念館」(美馬市脇町)の働きだ。
鳥井さんは三公記念館の設立前からかかわってきた。近隣の牧師が担当する聖書塾、聖書学び会、夕拝を軸に、三浦綾子読書会、童謡を歌う会、ゴスペル・フラなどの集まり、コンサートやセミナーなども開かれる。「団地が近くにあり、親子、祖父母など三世代が来られる場所にしたい。クリスチャンセンターのようにシェアオフィスにする構想もある。災害時には支援拠点になる。宿泊も可能で、都市部の教会がリトリートで利用することもある。コロナ禍で利用が制限されているが、鳥井さんが心に温めていることとしては高齢者の施設を敷地内に設けること。「死後の不安がない人はいない。最期まで安心して生きられる場になれば。クリスチャンだけではなく、近隣の方々にもニーズがあると思います」
今後の高齢化社会について参考になる本として寺島実郎著『ジェロントロジー宣言』(NHK新書)を挙げた。「日本の80歳以上は一千万人を超えた。定年も上がり、100歳も身近にいる.この本は単なる『余生』『第二の人生』ではなく、積極的な社会参画を勧める。体力は衰えても、知識や経験を役立てることができる。生きている限り何とかしていきたい」
支えにしている聖書の言葉は、ヨシュア記13章1節で、高齢のヨシュアに語られた「占領すべき地は非常にたくさん残っている」という励ましだ。同じ教団の国内宣教師で、エシュルン出版を経営する大塩英子さんのつながりで、地域の中小企業の同友会にも加盟した。地域の結びつきも広がり、これからも様々な挑戦が続く。【高橋良知】
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