地上で「神の国」の拡大を 私の3.11~10年目の証し いわきでの一週間⑨

写真=阿部さん家族。震災当時

「私の3・11」第三部は、私と当時出会った人たちの体験を中心に、10年を振り返る。

連載→ 第一部 1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回

第二部 1回 2回 3回 4回

第三部  1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回

私は当時グローバル・ミッション・チャペル(単立平キリスト福音教会、以下「グローバル」)で避難していた。当時出会った人たちの多くは、現在異なる場所、異なる領域で働きを展開している。【高橋良知】
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現在沖縄県に住む、牧師の阿部俊弥さんは、震災当時、避難所や学校など、人々の必要の聴き取りに奔走した。私にとって印象深いのは、歩きながらでも絶えず祈り、素早く判断して行動していた阿部さんの姿だ。

震災から数日後、私は阿部さんらと共に、いわき市沿岸部、小名浜を歩いていた。余震が起こり、津波警報が響きわたった。多くの人が慌てて高台に向かった。阿部さんは「右だ、左だ」と聖霊に耳を傾けながら大通りに出ると、ちょうど別の支援メンバーと合流した。当時、握っていた聖書の言葉は「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30章15節、新改訳第三版)だと言う。

いわき市に住み始めたのは震災の1か月前。早天祈祷を続けて一週間、ある日天の窓が大きく開かれる幻を見た。「天国でスイッチが入ったのを感じ何かが起こると確信しワクワクした」と振り返る。この確信が精力的な震災支援活動につながった。

「グローバル」には国内外から多数のボランティアが訪れた。ゴールデンウィークには1日150人以上も宿泊し、屋上にテントを張るほどだった。「たくさんのエピソードがある。大変だったけれど、楽しかった」
乳飲料宅配の仕事は震災の影響で続けられなくなった。家庭教師、コンビニ店員などをして生計を立てた。「グローバル」での支援活動が、落ち着くと、次世代支援に方向を定め、「いわきビジョン」として支援活動を進めるようになった。

2018年、6年半住んだいわきの生活に区切りをつけて、妻方の血縁が多い沖縄に移った。
震災から10年が経ち、振り返る。やり残したこととして「いわきの人々は、ボランティアと個人的な関わりと絆を持てたが、同じ地域に住むクリスチャンともっと関わりを深めてもらえれば良かった」と話す。

悔やまれることもある。震災直後、教会には、賛美と祈りに専念する海外からの「とりなし手」の人々もいた。ところが、海外や外部での奉仕に招かれるなど、リーダー不在の数日の間に「夜中まで大声で祈る人達がいる」とクレームが来た。信徒たちは、とりなし手たちに「ボランティアしない人は、帰って下さい」と詰め寄った。

似たようなことはたび重なり、海外からの祈りのグループは減り、霊的な影響力が細くなっていった実感がある。試練も通った。リーダーの1人、五十嵐義隆さんの娘の突然死、選挙活動などの是非で、グローバルをはじめ地域の教会に動揺があった。

しかし「クリスチャンが証しし、教会の無かった地域に教会が生まれ、世界中の人々に祈っていただいた。神様がいわきに目を注いでくださったと思います」。
今年3月11日には、五十嵐さんが率いるビジネス支援プロジェクトで、久しぶりにいわきを訪ねた。関わり方は変わるがいわきや被災地域の将来を継続して考えている。

沖縄では、家庭、子育てに集中できた。「マッサージ店で働いている。震災時3歳だった娘も中学生になり10代を落ち着いて過ごせている。妻は社会人学生として教育学を専攻している。2年ほど地域教会を手伝ったが、今はオンラインで家の教会をしている。社会の中に入り、特に教育、エンターテインメントの領域に影響をしたい」と話した。

震災前からインドの孤児院を運営している。孤児院の経済自立のためココナッツオイルの生産、輸入など準備している。「これからの時代、働き人は献金に依存せず経済的に自立することが大事。社会が必要とする、牧師ならではのスキルと経験がある。それができる人には勧めたい」と語った。

「自分の所属する教会がすべてではない。私たちは神の国を地上でつくる召しがある。キリストのからだとして世界中の教会がつながる様子を、いわきで見ることできた。何かあったら動ける備えを常に意識しておきたい。『グローバル』での支援を経験した人は、何か必要な時にそれを再現できるのではないか」と期待した。(つづく)