連載〝紅の百年”と日中宣教の今後① 戦前から日本の教会は関与 松谷嘩介さん(金城学院大学宗教主事)

世界で影響力を増す中国。その政権を担う中国共産党は7月1日に成立100年を迎えた(2面参照)。同政権下で起きた様々なキリスト教の問題は、他人事ではない。日本も戦前から中国の教会に大きく介入してきたからだ。

戦後、中国宣教から方針転換した欧米の宣教師たちが日本で様々な教団教派の成立にかかわったという経緯もある。本連載では、日中の教会史を考えてきた人たちの寄稿やインタビューにより、中国共産党とキリスト教会、日本の関係を振り返り、今後を展望する。
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〇『日本の中国占領統治と宗教政策』を書いた動機

「日中の教会は曲がりなりにも、戦中戦前に深いかかわりがあったことを忘れてはいけない。そんな思いで書きました」。松谷曄介さん(金城学院大学宗教主事)は著書『日本の中国占領統治と宗教政策 日中キリスト者の協力と抵抗』(明石書店=写真=)について言う。

同書では日中の史料や聞き取りを駆使し、宗教政策の内容と共に、実際の日中の関係者たちそれぞれの思想、対応を浮かび上がらせた。昨年9月には日本キリスト教史学会賞、今年2月には第十六回(公財)国際宗教研究所賞を受賞している。

「もともとは中国にかかわったキリスト者に関心をもっていた。日中のキリスト教の交流史を振り返った時、私の出身教会のルーツである旧日本基督教会の黒田四郎や賀川豊彦、村上治、私の出身校国際基督教大学の教師だった古屋安雄先生の父古屋孫次郎などの名前を見かけ、親近感があった。大虐殺があった南京には日本人教会があり、そこがどういう教会だったのか関心をもった。それを掘り下げるために組織や制度の文脈を調べた。具体的な人物を調べると多様性がある。単に『侵略』、『妥協』と大雑把にくくれない部分を知ってもらいたい」と話す。

同書では従来あまり研究されなかった楊紹誠(よう・しょうせい)牧師をはじめ、中国の代表的なキリスト者の対日協力あるいは抵抗、また日本のキリスト教指導者の安村三郎、阿部義宗、賀川豊彦、矢内原忠雄などの対中意識や言動が検証される。

 

〇戦後日本のキリスト者たちの沈黙と無関心

中国にかかわったキリスト教指導者らの多くは戦後沈黙した。「良心の呵責(かしゃく)からなのか。中国人キリスト者が不利にならないようにとの配慮だったのか。確かに戦後、対日協力者は『漢奸』(裏切者)として裁判にかけられ処罰されていた状況がありました」

数少ない例として黒田の回想録があるが、「『戦時下でも中国のクリスチャンが慰められていた』と回顧しているが、『大東亜宣言』に妥協する文脈で語られるので、それは主観的な見解に過ぎないのではないかと」と疑問を呈した。

戦後の日本の教会では中国への関心は高くなかった。「中国の教会の情報が入らなかったということはあるかもしれない。日本の教会の復興、再興で精いっぱいだったということもあるでしょう」

そんな中でも国交回復前の50年代から、中国への謝罪と友好のための使節を送ろうという浅野順一牧師(美竹教会当時)らの取り組みがあった。その前段階には、YWCAやWSCF(世界学生キリスト教連盟)などで中国人キリスト者ともかかわりがあった武田清子の訪中があった。「彼らにはアジアへの謝罪だけに終わらず、アジアの教会といっしょに歩もうという意識がありました」

 

〇共産主義台頭による危機、刺激、楽観

同時代の中国共産党の影響はどうか。「中国共産党が成立した1920年代は、反キリスト教、反宗教運動が起きていた。ロシア革命でソ連が成立し、無神論による反宗教運動が展開していた。

これには、中国のキリスト者で教育を受けた世代も影響を受けた。科学と宗教の関係をどう受け止めるか。キリスト者は西洋の手先だと思われていたので、欧米の帝国主義とどう向き合うかも問われた。困ったときだけ頼る『ライス・クリスチャン』という批判もあった。しかしそのような中でこそ、神学的な問いかけが始まる。共産主義の台頭は危機でもあったが、自立的な信仰、教会の在り方を考えるきっかけになりました」

中国共産党に期待するキリスト者もいた。「当時中華民国の政権をとっていた国民党は腐敗していた。共産党の無神論には同意しなくても、不平等の問題や資本主義批判には共感するキリスト者らがいた。社会改革運動の拠点となっていたYMCAにも社会主義者が出入りしていた。後に中国の公認教会から距離をとった単立教会の指導者である王明道は、1930年代からYMCAを批判していました」

社会主義とキリスト教には接点がある。「賀川豊彦の著作も翻訳され有名だった。たとえば呉耀宗はYMCAで育ち、反キリスト教運動の刺激を受ける中でキリスト教社会主義に共感した。日本軍の侵略に直面する中で、共産党に共鳴して武力抵抗へと傾いた。中華人民共和国が成立し、政府公認の三自愛国教会が出来たが、それは単なる妥協ではなかったのです」

中華人民共和国成立時の期待感は、当時の日本人にもあった。「当時日本でもアメリカ一辺倒ではなく、社会主義への関心も高まっていた。50年代に訪中した浅野や武田の報告書を見ると、『新しい人間』と言う言葉がよく出てくる。中国の新しい社会を前向きにとらえていた。今思えば、中国側が日本人に良い部分だけを見せたとも思われる。文化大革命もまだ起こる前であったし、日本側も見たいところだけを見たというところがあったでしょう」【高橋良知】        (つづく)

※次回は戦後冷戦期についての寄稿を紹介。