写真=五十嵐さん家族。震災後、2人の娘が生まれた

「私の3・11」第三部は、私と当時出会った人たちの体験を中心に、10年を振り返る。

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東日本大震災当時、いわき市で出会った人たちのその後を聞く。【高橋良知】
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今年3月11日、五十嵐義隆さんは数人の仲間たちと、10年前に甚大な津波被害を受けたいわき市薄磯地域の「いわき震災伝承みらい館」の前に立っていた。五十嵐さんが代表を務める震災復興支援「灯りの苑プロジェクト」による震災10年記念企画だ。映像配信をし、被災体験などを紹介。近隣の豊間中学校で中学生たちと語り合った。「地域のつながりの強化が大事。震災を経験した者として、今後同じような被害、死者が出ないようにメッセージを発信し続ける使命がある」と話す。

夜には、日本、中国の中小企業支援プラットフォーム「日中同・草・路センター」の会合を開いた。1950年代、国交のなかった日中間で草の根のつながりを進めたクリスチャン政治家の李徳全を顕彰する「李徳全研究会」が中心となる働きだ。李の孫は中華全国工商連合会特別顧問を務める。推進事業として福島の復興関連事業を掲げた。

「捕虜や孤児、BC級戦犯を無償で日本に帰国させた李徳全の働きには隣人愛と赦しのテーマがある。最も小さな人に寄り添うことが草の根や中小企業の働きにつながりました」
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震災当時は、グローバル・ミッション・チャペル(単立平キリスト福音教会、以下「グローバル」)を拠点に青年ミニストリーをしつつ乳飲料会社の経営に携わっていた。現在は企業、政治家とのネットワークづくりに重点を置いている。

「震災から1、2年、世界中の人たちから支援をいただいた。地元の人だけでは乗り越えられなかった。ましてや私たち家族は、震災から2か月後に生後4か月の娘を亡くした。支援センターがあったことで本当に助けられた」と感謝する。

「娘を亡くし、被災者の苦しみを深く知った。本当に苦しい人は『助けて』も言えない。言葉にできなくても寄り添うことで神様の愛を伝えていけると思う。『グローバル』の皆はできることを精いっぱいやった。ノウハウではなく、たえず困っている人を気にかけ皆で気遣っていました」

現在のコロナ禍と放射線問題が重なる。「コロナも放射線も見えない。放射線はガラスを通り越して被ばくするので、コロナより危険だった。私たちはそれを乗り越えた。正しい情報があっても、無くても人々は不安を感じる。しかしクリスチャンは情報があるなしにかかわらず、人々を希望に導ける。死の危険があるときこそ、御言葉が本当の頼りだと証し出来るからです」

震災から1か月後には政治にかかわる必要を感じた。行政は混乱していた。「残された被災者やご年配の方たちや子供たちのことを思うと残った私たちで町を守らなければならないと誰もが思っていたことだろう」(『3377票の奇跡 キリスト道のすすめ』2013)と振り返る。

地元の声が聞かれないまま業者や行政で進む「復興案」にも疑問をもった。「支援活動をする中でどうしても教会だけでは届かない部分があると感じた。そこは企業、行政と連携して取り組まないといけない。教会の中だけではなく、すべての領域にクリスチャンが関わる必要がある。日本では教育、医療、芸能の世界で活躍する人がいる。しかし政治の分野が欠けていました」。国内外でのクリスチャン政治家との出会いも確信を強めた。

2013年のいわき市長選では、応援するつもりだった候補予定者が出られなくなり、急きょ投票日一週間前に出馬した。各地からの応援を得て選挙活動をしたが、落選した。続いて14年には福島県知事選に出馬した。「この時は、仲間の反応も半々に分かれた」と言う。「グローバル」でも五十嵐さんに牧会の働きを期待する声があり、意見が割れた。「私自身一時の迷いではないかと必死で祈った。やはり政治への道だと決心しました」。現在はハウスチャーチを主宰して礼拝をしているが「グローバル」とも「いつでも行き来できる関係」と言う。

「クリスチャン政治家が必ず直面する孤独の戦い」を覚えて、友人で岐阜市長の柴橋正直さんと超党派クリスチャン政治家ネットワーク「オリーブの会」を立ち上げた。選挙応援、勉強会、交流会、災害支援などに生かされている。

「政治の世界では『蛇のようにさとく』が必要になる。知恵のある言い回しと妥協やウソは違う。心に偽りがないように祈りと御言葉が必要。聖書を原語で学んできた。聖書の言葉の本質を残しながら知恵をもって翻訳し、語る実践をしています」(つづく)