中国共産党成立100年を迎え、中国共産党とキリスト教会、日本の関係を振り返る連載2回目。日本宣教の歴史などの著作が多い中村敏氏(新潟聖書学院教師)が寄稿した。
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中国は、7月1日にこ中国共産党設立100周年を迎えました。今の世界情勢で最も憂慮すべきは、米中の激しい対立であり、日本もそれに巻き込まれつつあることです。

本稿では、戦後建国された中華人民共和国がキリスト教にどのような政策をとって来たかを考察します。そしてそのことが日本の宣教にどのような関わりを持ち、何を教えているかを考えてみたいと思います。

1949年10月毛沢東率いる中国共産党は、「中華人民共和国」を建国しました。当時国内には、プロテスタントとカトリックを合わせて、400万人以上のキリスト者が存在していたとされます。当然ながら共産党は反帝国主義の立場であり、帝国主義と結びついていたとされた欧米のキリスト教団体は中国から締め出されていきました。

特に1950年の朝鮮戦争開始以来、中国国内に反米主義が一気に高まり、欧米のキリスト教宣教師達はほぼすべて国外退去を余儀なくされました。そしてそれまで国内にあった十数校の神学校が一つに統合され、13のキリスト教大学を初めとするキリスト教教育機関も、すべて閉鎖か国立学校に吸収合併されました。

しかし中国でのこうした事情は、当時アメリカの進駐軍下にあった日本の宣教に少なからぬ恩恵を与えました。やむを得ず、中国での宣教の門戸を閉ざされた欧米の宣教団体は、日本や東南アジア諸国に宣教の拠点を移していきました。特に当時の日本は進駐軍下で、一時的なキリスト教ブームを呈しており、宣教師を大歓迎していました。

1950年代に次々とこうした欧米のプロテスタントの宣教団が来日し、熱心に宣教活動を行い、教会形成をなしました。たとえばハドソン・テーラーが設立した中国内地伝道会は、北海道や東北を中心に、国際福音宣教団(OMFと略称)として宣教を展開しました。その他にも、主に福音派の宣教団体が中国から日本に宣教地を変更し、日本の福音宣教と教会形成に大きく貢献しました。私たちは、このことを忘れてはならないと思います。

その後の中国のキリスト教会は、54年に「中国基督教三自愛国運動委員会」を成立させ、ほとんどの教会がこれに加盟しました。「三自」とは戦前の中国の教会で提唱されていた「自治」、「自養」、「自伝」という精神を受け継ぐものであり、「三自愛国教会」という呼称が用いられました。こうした在り方は、外国の宣教師の支援や宣教協力を拒否し、あくまでも中国人が主体となっていくというものです。公認教会として活動をしていくためにやむを得ない選択でしたが、中国共産党の宗教政策に全面的に協調ないし服従的な立場を取り続けます。米ソの冷戦時代において、欧米のキリスト教会はこうした中国の公認教会に対して批判的であり、支援や関りを持とうとしませんでした。

その一方で、こうした政府公認の教会に所属することを拒み、政府から圧迫されても、「家の教会」ないし「地下教会」のような形での道を選んだキリスト者たちが少なからず存在しました。彼らは、外部からの助けに頼らず、礼拝を守り、福音を宣べ伝えました。彼らに対し、日本の教会の中で、「いのちの水計画」という支援活動が熱心になされ、家の教会への聖書の配布や指導者・信徒の信仰訓練に協力しました。また欧米のオープン・ドアーズと言う宣教団体も家の教会を中心に支援しました。

66年に文化大革命が始まると、未公認の家の教会はもちろん、三自愛国教会に属していた教会や神学校であっても、紅衛兵らによる激しい迫害を受け、すべて閉鎖に追い込まれました。その結果キリスト教会は、目に見える形では中国の社会から姿を消しました。この時期に牧師や教会指導者は投獄されたり、農村に下放され、多くの犠牲者を出しました。そうした中で、信徒たちは密かに家庭で礼拝を守り、信仰を守り続けました。

(その後訪れるキリスト教会の急成長と、そこから何を学ぶか、がこの後語られます。2021年7月11日号掲載記事