自由学園100周年 「生活即教育」が現代に問う 「より良い社会」を学校から

写真=創立当時から自由学園では食事づくり、食卓を重視してきた 自由学園資料室提供(以下同)

「持続可能性」が叫ばれる現代社会で改めて注目を集めるのが、「生活即教育」を重視する自由学園の教育だ。ジャーナリストの羽仁もと子・吉一夫妻によって、キリスト教を基盤に始められた同学園は今年100周年を迎えた。その伝統と新たな挑戦を見てみよう。【高橋良知】

東京・東久留米市にある自由学園南沢キャンパスは自然が循環している。田畑エリアには立野川が流れ、校舎の間には地下から水を汲み池が連なる。花樹には季節ごとに多様な鳥が訪れる。

農と食、そして学習の循環もある。学年ごとの田畑では、イモやダイコンなど定番の野菜のほか、様々な作物に挑戦している。これらを収穫し、生徒たちが調理して学校の食卓にも上る。道具も生徒たちで管理する。理科の観察や、絵画の写生、言葉での表現など様々な学習の場となる。「多面的・総合的に実物にふれること。日々の生活を自分たちで創っていくこと。それらの体験から学ぶことは多い」と椚田(くぬぎだ)結子さん(広報本部)は言う。

校内の樹木や植林し育てた木材を利用した家具づくり、また洋服つくりなど、自らの手で生活を整える学びの機会がある。学校や寮の運営をはじめとした様々な自治活動も盛んだ。

保護者や卒業生、婦人之友社、友の会など関連団体との結束も強く、東日本大震災後には、友の会や卒業生のつながりで、被災地支援を継続し、現在も交流がある。

写真=羽仁夫妻

学園創立の2年後には、関東大震災で支援活動をしたり、1935年には東北の貧困支援のための東北セツルメントに協力した歴史がある。
日中戦争の突入時期でも北京生活学校を設立した。戦時下では「自由」を守るために苦心した。
近年は教師らが意欲的に授業を展開し、平和教育、環境教育などにも力を入れる。コロナ禍に入り、生徒の提案で有志がホームレス支援もしている。そのような多様な活動の様子は、100周年記念出版『本物をまなぶ学校自由学園』(婦人之友社)に詳しい。

羽仁夫妻の教育思想がキャンパスに継承

写真=自由学園明日館

池袋駅から徒歩5分、ホテルや予備校の街区を抜けて住宅地に入ると、自由学園最初の校舎、明日(みょうにち)館がある。周囲の明日館講堂、婦人之友社、東京第一友の会の建物と一体感あるエリアだ。
明日館は、世界的な建築家フランク・ロイド・ライトの設計で国の重要文化財でもある。羽仁夫妻の友人であり、ライトの弟子だった遠藤新が帝国ホテル建設で来日中のライトを推薦した。まだ始まってもいない自由学園の構想と夫妻の思想にライトは共鳴した。

すでに家庭生活誌「婦人之友」を発刊していた羽仁もと子は、娘が学校で受けていた詰め込み教育に問題意識を感じ、自由学園の構想を発表。1921年1月下旬にライトに建築を依頼し、4月には建設中の教室で入学式を開くという急ピッチでの開学となった。

低い天井の玄関と解放感ある広間のギャップなど変化に富んだ空間があり、窓枠や調度品の幾何学的模様などモダンな雰囲気を楽しめる。全体で工夫されているのは、「外と中の境目がなく、どこからでも入れること」。明日館スタッフの岡本真由美さんは「権威主義ではなく、神の下での平等、学校全体が大きな家、という考えが表れている」と話した。

ライトは遠藤と連名でメッセージを残している。校舎は「自由な精神を基調」とし、「この形象は正しい原理にもとづいて調和的につくられた」と言う。「感性ゆたかな子どもたちは、ここから将来の生活において遭遇するであろう決断を迫られるとき、そのときにこそ求められる美と友愛を学びとるにちがいありません」(羽仁結著『よみがえれ明日館スピリット』参照)

生徒数増加で移転した南沢キャンパスでも、主要な校舎・施設は、遠藤やその子息でライトの弟子でもある遠藤楽が設計し、学校創立時の精神が継承されている。

明日館はその後卒業生の活動場所などに使われていたが、だんだんと老朽化が目立ち、保存活動が展開された。保存しながら使用するという方針で、生涯学習やイベントの主催、展示や結婚式での貸し出し、撮影などで活用されている。

写真=上から女子部食堂、男子部体育館、初等部食堂

聖書が生きて働く「共生」に

写真=高橋学園長

(学園長の高橋和也氏は「自由学園の目標はよく生きる 力を育むこと」と語ります。2021年7月11日号掲載記事