説教する戒能氏。今年は屋根のある場所で祈祷会を行った

 戦後76年の8月15日早朝、今年も東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で「8・15平和祈祷会」(同実行員会主催)が開催された。戒能信生氏(日基教団・千代田教会牧師)がゼカリヤ書8章12節から「平和の種が蒔(ま)かれ」と題して説教した。
  ◇  ◆  ◇
 戒能氏は「76年という期間は、明治維新から太平洋戦争の敗戦までの期間とほぼ同じ。最初は日清戦争、日露戦争、太平洋戦争と戦争に次ぐ戦争の時代だったが、次の期間は直接戦争に巻き込まれることなく、この国では今も〝戦後〟という言葉が通用している。世界各地で今も戦争が続いている中、この国は珍しく直接的な戦争がなかった」と指摘。「その中で私たちは経済的な繁栄を謳歌(おうか)し、平和を享受している。だが、今や世界では戦争が相次ぎ、新型コロナにより世界中が混迷を深くしており、この国も例外ではない。この混迷の出口はどこにあるのか、未来に希望はあるのか、世界の平和はどうなるのかと案じている」
 その上で「平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び 大地は収穫をもたらし、天は露をくだす」(ゼカリヤ書8・12、協会共同訳)を引用。「ここでは平和が来る、実現するとは書いていない。ただ平和の種が蒔かれていると書いてあり、その種を大切に守り、慈しみ、育てる責任が私たちにあると言う」

説教の後、参加者一同で黙祷

 ノーベル平和賞受賞者で作家のエリ・ヴィーゼルが紹介したユダヤの民話について話した。「偉大な老賢人が子どもたちに、何がいちばん欲しいか尋ねた。最初の子はお菓子、二人目はお金、三人目は力。老賢人は悲しくなった。だが、四人目の子が来てこう言った。『希望をちょうだい』。ヴィ―ゼルが民話をを通して伝えたかったのは、私たち現代人の欲望がどこまでも拡大していく中で、最も必要なのは何かということ。それは様々な困難に耐え、それを乗り越えていく希望ではないか」
 日本聖公会ナザレ修女会(東京・三鷹市)の朝7時からのミサに参加した時の体験も分かち合った。「内戦、テロが起き、世界のほとんどの人たちが諦めのような思いに支配されている中、かなり高齢のシスターたち数人で、世界の平和のために真剣に祈っている。それは感動的な光景だった。私たちキリスト者は、こういう時代だからこそ平和の希望を失ってはならない」
  「世界が諦めている時でも教会は諦めない。世界が絶望している時でもキリスト者は希望を抱き続ける。世界が放り出しても私たちは平和の祈りを粘り強く継続していく。そこに私たちキリスト者の使命と責任があるのではないか。なぜなら、私たちには平和の種が与えられているから」と語りかけ、「この凄惨な世界にあなたの平和をもたらしてください。イエス・キリストという平和の種が蒔かれていますから。この種を私たちの責任として受け入れ、希望を育てていけますように」と祈りをささげた。
 今年は急激な新型コロナの感染拡大、日本列島に線状降水帯が停滞し、各地で大雨が降り続く中での開催で、同祈祷会は雨を避けるために屋根付きのスペースで行われ、賛美はぜず、例年行っているグループごとに分かれての祈りも中止。代わりに参加者一同による黙祷が捧げられた。