写真=仮設にいた人々と教会堂でイベントを継続する

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東日本大震災当時、いわき市で出会った人たちのその後を聞く。同盟基督・いわきキリスト教会の増井恵牧師は、震災後、地域とのかかわり方が変わったと話す。【高橋良知】
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震災後、教会員の家族のつながりで、いわきのまちづくりを応援する事業者らのグループに加わった。「アルコールは飲まないが、『増井さんが参加してから飲み会の雰囲気が変わった』と言われた。お酒の席では誰かが真面目な話をしても、茶化す人がいがちだが、いつもの教会でしているようにその人の話をできるだけ聞き、話しやすい雰囲気を作った。一人が話すと、触発されて、別の人も自分の思いをしゃべる。『みな長年知り合いだが、心の中の悩みはお互い知らなかった』という声もあった。牧師としてのスキルがこんな場所でも生きるんだなと感じた」と言う。

教会堂の使い方も変わった。支援していた仮設住宅、町民サロンが閉じる中で、住民の交流継続のため「ほっこりカフェ」、刺繍(ししゅう)教室、押し花教室などが教会堂を会場に継続することとなった。ほかにも、軽度障がいや、ダウン症の子どもと家族の集まりなどにも会場を提供した。「今までは基本的に教会堂は教会員のためのものだった。しかし今では平日は、クリスチャンではない人の方が多く出入りし、一週間に50人ほど来られる。そこでクリスチャンと出会い、教会を知り、集会や礼拝に出てくれることもあり、神さまが教会に預けて下さった賜物を社会に開くことの大切さを教えられています」

教会と支援活動にかかわる中では様々悩んできた。「被災者のためではなく支援者のための支援ではないかという場面をいくつも見てきた。実際、自分自身がたくさんの誘惑と戦ってきた。10年経って、支援の働きがもたらす金銭や社会からの評価に、依存して来なかったか、今もう一度問われている。共に仮設支援をした聖公会の方々は阪神淡路大震災後の厳しい反省に立って東日本大震災の際には、素晴らしい活動をしていた。福音派の教会でも、そのような真摯な振り返りが必要なのではないかと思います」

反省としては、支援初期の段階で教会員を巻き込めなかったことがある。「仮設住宅にかかわるのは最初は私だけにした。教会の人も来たいと思っていたが、『伝道モード』になるのはできるだけ避けたかったので、それを制限し、『仮設住宅はやがて無くなる。教会の出番はそれから』と言い、待ってもらった。仮設の人たちを、伝道の対象ではなく、愛の対象として、信頼関係を作ることが大事だと考えて関わりを続け、礼拝で共にみことばに聴き学ぶ中で、今は教会員とも考え方を共有し、関わる人が増えていきました」

「大事なことは、教会の本分として、礼拝、伝道はしっかりやっていくが、支援活動と混ぜないこと。クリスチャンではない方々にとって、『信仰を迫られる』危険な場所と、『信仰が問われない』安全な場所を分けておくこと。支援活動の義理で伝道するのではなく、良い関係を作る愛の種を惜しまずに盛大に蒔(ま)いて、その種が実を結ぶことに期待したいのです」

所属教団や超教派で青年宣教に多く関わってきた。これにも震災支援活動と通じるテーマがある。「神様を信じて天国に行くことが目的ならば、『伝道以外は意味ない』となる。すると青年たちは、教会のことと、世の中のことを分けて考えるようになる。しかし、聖書によれば今生きている生の営みと神の国はつながっている。『教会モード』と『世の中モード』を分けるのではなく、すべてが神の国につながっていくことを信じて、神さまが願われるように、神を愛し、隣人を愛していく。クリスチャンとして、仕事でも人との関わりでも困難はあるけど、神の国を作っていくことができます」

震災支援活動ではキリスト者学生会の学生や教会ボランティアの青年らを積極的に受け入れた。「これから社会に出ていこうという彼らは悩んでいる。そんな彼らが教会と社会を考える機会にもなりました」
「金銀では人は救えない。人を助けるだけでは究極的には人は救われない。その人が本当に自分の足で立てるようにかかわっていきたい」と語った。 (つづく)
※木田惠嗣・増井恵著『原発避難者と福島に生きる』2016も参照。

2021年8月15日号掲載記事