国連軍基地の目の前でセルビア勢力による一方的なボシュック人移送から夫と息子たちの救出を考えるアイダ (C) 2020 Deblokada / coop99 filmproduktion / Digital Cube / N279 / Razor Film / ExtremeEmotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte

1992年3月から勃発したボスニア紛争。ボスニア・ヘルツェゴヴィナがユーゴスラビア連邦からの独立をめぐり最も人口比の多かった(約44%)イスラム教徒系のボシュック人、およそ31%だったセルビア正教徒系のセルビア人とカトリック教徒系のクロアチア人の3民族は人種的にも言語的にも似通っていたことから宗教の違いで民族主義が扇動され紛争へと発展する。

紛争勃発から3年半。攻勢を強めるセルビア勢力が、東部ボスニアの町スレブレニツァに侵攻し、第2次世界大戦後のヨーロッパで最大最悪のジェノサイドといわれる「スレブレニツァの虐殺」が行われた。本作は、セルビア勢力が国連保護軍の駐屯基地に避難してきたボシュック人住民を組織的・計画的にジェノサイドを断行した事実と女性通訳者アイダの経験をもとに“そのとき”が描かれていく。宗教、民族、政治の複雑な絡み合いの中で無抵抗な人々を殺害する人間の哀しさ、愛する者を殺された一人の女性がどのように生き残った明日を生きていこうとするのか。過去の悲劇に留まることのない現在の出来事として観る者に迫って来る。

夫と息子たちを救うため
奔走する通訳者アイダ

1995年7月11日。国際連合が安全地帯に指定していた東部ボスニアの町スレブレニツァにセルビア人勢力が侵攻し、町を包囲する。市長と代表者たちは、近郊のポトチャリにある国連保護軍駐屯基地を訪れ、オランダ部隊の大隊指揮官カレマンス大佐(ヨハン・ヘルデンベルグ)に市民の保護と砲撃されている町の惨状を訴えセルビア軍への対処を求める。高校教師だったアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)は、国連軍の通訳スタッフとしてカレマンス大佐の「(セルビア軍には)午前6時までに包囲を解除しなければNATOが空爆を開始すると最後通牒を伝えてある」という説明を市長らに伝えるが、これまでも同様の説明を繰り返し聞かされてきた市長らは信用できないという。

12日。国連軍の空爆は実行されなかった。セルビア勢力は攻撃を開始し瞬く間にスレブレニツァは陥落。市長はじめ町のあちらこちらで老若男女を問わず皆殺しにしていくセルビア軍。ムラディッチ将軍(ボリス・イサコヴィッチ)も町に到着した。町の人々は森の中へ逃げたり大挙して国連保護軍の基地へ避難し保護を求める。だが、5,000人ほどが入る基地の中央ホールに入るといっぱいになり、救援物資や食料も届いていないためゲートは閉じられた。多くは女性や子どもたちと年老いた人たち2万人ほどの人々がフェンスの外に締め出されてしまう。通訳の仕事で町の自宅に帰れなかったアイダは、夫ニハド(イズディン・バイロヴィッチ)とハムディア(ボリス・レアー)、セヨ(ディノ・バイロヴィッチ)二人の息子たちを必死に捜す。次男のセヨは基地内で見つけたが、夫とハムディアはセヨが入ると直ぐにデートが閉じられて外にいるという。アイダは、基地の高台に上り夫とハムディアを見つけてやっとの思いで出会えた。だが、二人を入れると避難民が押し寄せることを恐れた国連軍の兵士らに拒否される。

陥落したスレブレニツァの町を視察し住民虐殺にもかかわるムラディッチ将軍 (C) 2020 Deblokada / coop99 filmproduktion / Digital Cube / N279 / Razor Film / ExtremeEmotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte

ムラディッチ将軍から国連軍のカレマンス大佐に電話が入った。市民側の代表者を3人選び三者交渉しようという。フランケン少佐(レイモント・ティリ)がアイダの通訳で避難民の代表として交渉に行く者を募るが誰も手を挙げない。避難民の中から会社経営者の男性と経理士の女性が選出されたがあと一人が決まらない。アイダは、高校の校長を務めていた自分の夫ニハドをフランケン少佐に推薦し、承諾された夜に夫ニハドと長男のハムディアを安全な国連基地に入れることができひと安心する。

ムラディッチ将軍は国連軍のカレマンス大佐の言葉は意に介さず、市民は安全な場所へバスで移動させて助けると提案し、カレマンス大佐はその提案に協力すると約束させ代表者たちを説得する。だが、交渉している間にムラディッチ将軍は部下のヨカ(エミール・ハジハフィズベゴヴィッチ)を国連軍の基地へ送り、避難民の中にボスニアの兵士が紛れ込んでいないか捜索するという名目で基地内へ入れようとする。交渉中のカレマンス大佐は、基地からの連絡に規則違反を認識したうえで武装したセルビア軍兵士を基地に入れて捜索させるようフランケン少佐に命令する。

ムラディッチ将軍との交渉を終えてカレマンス大佐とニハドら代表者たちが基地に帰ってきた。ニハドは、アイダに交渉は上手くいったと説明する。だが、女性の経理士は「あんな茶番を信じるの」と厳しい言葉を吐き捨てる。間もなく、セルビア勢力がバスやトラックを連ねて基地に到着し、一方的な“移送”が開始された。合意したはずの国連軍の同乗や移送計画などは無視され、フェンスの外にいる避難民たちを女性・子どもたちと男たちに分けてバスとトラックに乗せていく。兵士探索を名目に基地内に入ったセルビア兵たちも男たちを連れ出し人目につかない場所で銃殺している。その惨状がカレマンス大佐に報告されるが、大佐はフランケン少佐にすべての対応を任せて部屋にこもってしまった。国連本部に連絡するが責任者は誰もフランケン少佐の電話に出ようとしない。通訳をしていたアイダは国連関係者として退去保護リストに記されているが、夫と息子たちの名前はない。アイダは、家族を救うため必死に奔走するが…。

セルビア勢力は避難住民の一部を保護した国連軍に、ボシュック人兵士が紛れていないか捜索させろとフランケン少佐と交渉する (C) 2020 Deblokada / coop99 filmproduktion / Digital Cube / N279 / Razor Film / ExtremeEmotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte

大戦後最悪なジェノサイドが
26年後のいま語り伝えていること

「スレブレニツァの虐殺」から半年後に政治的和平合意が成立し戦闘は終息した。本編の最後に(男性だけでも少なくとも)犠牲者8,372人への献辞がテロップに記される。主人公アイダが夫と息子たちの遺骨を確認するまでにも数年が経っていた。この惨事から26年目の今年7月、新たに19人の身元特定が遺骨のDNA鑑定などで特定され、3,215人がポトチャリのスレブレニツァ虐殺記念館に埋葬された。

2021年のいま、ミャンマー国軍によるクーデター反対の意思表示をする市民への殺戮が現在続いている。米軍撤退によるアフガニスタンのタリバン復権と弾圧を恐れる住民は、国外亡命へ大移動の様相を展開している。26年前の起きた「スレブレニツァの虐殺」は、昔話ではなくボシュック人が経験した黙認される組織的・計画的殺戮の恐怖が、あちらこちらで現在進行形に繰り広げられている。プレスのインタビューで「この物語の核心はどこにあるのか?」との質問に、ヤスミラ・ジュバニッチ監督は「皆さんには、ぜひ、スレブレニツァの物語を自分自身の人生と重ね合わせてみてほしいと思います。困難な時期に誰がそばにいてくれるでしょうか? もっと連帯していたら、どれだけのことが変わっていたでしょうか? また、子どもたちに引き継がれてしまうトラウマの問題もあります。加害者が真実を否定するために費やす膨大なエネルギーは、次の世代に大きな負担をかけることになるのです。」と応答している。

本作の原題は「クオ・ヴァデス・アイダ」。主イエスが最後の晩餐直後にイスカリオテのユダが出て行った後、弟子たちに語っているイエスにペテロが「主よ、どこにおいでになるのですか(クオ・ヴァデス)」(ヨハネの福音書13章36節)と問い掛けたラテン語訳が本作のモチーフでもある。いまも民族浄化や虐殺の深い傷痕が癒されていない分断国家ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。その重苦しさが漂う中で、アイダが明日に向かって歩むために決断した選択は、他人事ではない問いかけとなって観るものの心に印象深く残る。【遠山清一】

監督:ヤスミラ・ジュバニッチ 2020年/101分/ボスニア・ヘルツェゴビナ=オーストリア=ルーマニア=オランダ=ドイツ=ポーランド=フランス=ノルウェー/ボスニア語・セルビア語・英語/映倫:PG12/原題:Quo vadis, Aida? 配給:アルバトロス・フィルム 2021年9月17日[金]よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー。
公式サイト https://aida-movie.com
公式Twitter https://twitter.com/AlbatrosDrama
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*AWARD*
2020年:第77回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞ノミネート。第49回ロッテルダム国際映画祭観客賞受賞。 第45回トロント国際映画祭 正式出品。 2021年:第93回アカデミー国際長編映画賞ノミネート。第22回インディペンデント・スピリット賞 外国語映画賞受賞。ロッテントマト 100%フレッシュ獲得。