柴田氏「那覇市孔子廟訴訟と政教分離問題」テーマに 政教分離堅持は信仰者の責務 同盟「教会と国家」委員会主催「8・15平和祈祷会」

日本同盟基督教団「教会と国家」委員会主催の「2021年8・15平和祈祷会」が8月9日、オンラインで開催。柴田智悦氏(同盟基督・横浜上野町教会牧師)が「那覇市孔子廟訴訟と政教分離問題」をテーマに講演した。
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「那覇市孔子廟訴訟」とは、沖縄県那覇市が孔子廟(こうしびょう)のために都市公園内の土地を無償提供したことが、日本国憲法の政教分離に反するとして、市長による公園使用料の全額免除措置の無効と利用料の請求を求めた訴訟。最高裁は、今年2月24日、敷地の使用料の全額(14年4月1日から7月24日までの公園使用料181万7千63円)を免除した行為は、憲法の定める政教分離規定に違反し無効であり、市長が使用料を請求しないことが違法に財産の管理を怠るものであるとして、原告である住民の勝訴判決を下した。
孔子廟をめぐる訴訟での主張は以下の通り。住民側の主張は、儒教は宗教的で施設は霊廟、祭礼は孔子の霊を招く儀式であり、管理団体は宗教団体に当たる。他の孔子廟とは歴史的背景が違う。従って、特定の宗教に対する援助や助長に当たり、政教分離の原則に違反するというもの。
一方、市側の主張は、儒教は学問的であって施設は観光資源、祭礼は沖縄文化を伝える行事であり、管理団体は一般社団法人である。他の孔子廟とは施設も祭礼も同じ。従って、使用料の免除は公共的な目的があり、宗教への援助や助長にはならないというもの。

スライドを見せながら語る柴田氏

柴田氏は、「国家の行為が政教分離違反であるか否かを判断する際に、『目的・効果』基準が採用されてきた」と言う。それは①その行為の目的が宗教的行為を持ち、かつ②その行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進、または圧迫、干渉になるような行為、を指す。
「しかし、空知太神社訴訟や、今回の孔子廟訴訟においては、社会的通念に照らして総合的に判断すべきである、としている。儒教の祖である孔子等を祀(まつ)った久米至聖廟の至聖門には三つの扉があり、中央は孔子の霊の扉とされ、孔子の霊を迎えるために一年に一度、釋奠祭禮(せきてんさいれい)の日にのみ開かれる。9月28日に、供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、祝文奉読等をした後にこれを送り出すという内容で、明らかに宗教行為だ。最高裁は、『社会通念に照らして総合的に判断すると、本件免除は、市と宗教との関わり合いが、我が国の社会的、文化的条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると解するのが相当』と判決した」
柴田氏は、津地鎮祭訴訟(1977年)、愛媛玉串料訴訟(97年)、空知太神社訴訟(2010年)など、過去の政教分離訴訟を挙げ、「国や市と宗教との関わりについては明確な基準に基づいて政教分離原則を適用していくことが重要だ」と強調。「日本国憲法は信教の自由を無条件に保障することとし、その保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至った。しかし、自民党改憲草案第20条3項の一文『ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない』は、戦前・戦中と同様の道を歩み、政教分離原則をなし崩しにし、信教の自由さえ脅かす危険がある。政教分離は『国家と宗教(団体)』との分離であって、『信仰生活と政治的活動の分離』ではない。信仰者や宗教団体が政治的な事柄に関わることは妨げられるべきでなく、かえって私たちの信仰を守るために政教分離の厳格な堅持を求めていくことは、信仰者の責務だ」と結んだ。
質疑応答の後、▽私たちの教団が、過去に犯した偶像礼拝と侵略戦争への加担という罪を心に刻み、二度とその罪を繰り返すことなく、また、私たちの国が侵略し、蹂躙(じゅうりん)し、偶像礼拝を強要した国々の人々に対して心からの和解を求めていくことができるように、▽コロナ禍にあって、教会が、苦しみを抱える人々に仕える奉仕(ディアコニア)の働きをも見出して実践し、キリストを証しすることができるように、▽この国の為政者が、公儀と公正に基づく政治を行うことができるように、仮に憲法が改変されようとも、私たちが堅く信仰に立ち続けることを決意していけるように、などの祈祷課題を覚え、参加者一同で一斉祈祷を捧げた。最後に同委員会作成の「平和のための祈り」、「主の祈り」を皆で唱えた。

2021年8月29日号掲載記事