支援する、される、超え隣人に 私の3.11~10年目の証し いわきでの一週間⑯

写真=西小野さん

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東日本大震災当時、いわき市で出会った人たちのその後を聞く。西小野健さん(保守バプ・郡山聖書バプテスト教会牧師)は、震災後、福島県での支援活動を通し、結婚し、現在の牧会に至った。【高橋良知】
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西小野さんの出身は福岡県。上京後、埼玉県の教会に所属していたが、2011年3月11日は、関西聖書学院卒業式の翌日で、まだ関西にいた。テレビで津波の映像を見て、現実のこととは思えなかった。翌週埼玉に戻ると、電車もあまり動いておらず、影響を実感した。

支援組織「クラッシュ・ジャパン」で支援活動を始めた。「神学校卒業後、母教会で奉仕する予定だったが、正式に決まってはいない段階。比較的自由に動けた」と話す。

被災地に初めて行ったのは、4月、福島県郡山市だった。「被災者の話を聞き、マッサージをしたり、祈りの心をもって寄り添わせていただいた。機会があれば一緒に祈ることもありました」

放射能問題があった福島で働き続けることには、当初親からも反対があり、自身も不安があった。「窓の外に行き交う人々の日常風景を見ながら、福島では、今も避難所で何千人という人がすし詰めになり、段ボールを仕切りに暮らしていると考えたとき、『自分もそこにいたい』という気持ちが神様から与えられた感覚がしました」

1年半様々な教会や仮設住宅を回り、世界中のボランティアと交流もした。その後、いわき市で平キリスト福音教会が立ち上げたNPO「グローバルミッションジャパン」のスタッフとして2年間務めた。「クラッシュの時と同じ、心のケアをし、仮設住宅を一軒一軒回った。被災した方々の目に見えない部分に仕えた」と言う。14年には共に奉仕した聖子さんと結婚した。

「支援活動は人々の弱さや痛みに触れる尊い働きだが、2、3年たち、神学校の同級生たちが伝道師や牧師として活躍しているのを見ると、『自分はこれで本当にいいのか』と落ち込むこともあった」と話す。「クリスチャンとして神様に仕えることを支援活動を通して教えられた。イエス様ご自身が言葉だけではなく、人々に寄り添い、仕えられた。一方で、伝道師、牧師としての召しも自分の中で再確認した。福島に遣わされたことは確かで、福島でどのように教会に仕えていけるか将来を祈り始めました」

そのような中、以前から支援活動で協力していた郡山聖書バプテスト教会(三春町)とつながった。前任の牧師は70代となり、後継者を探していた。夫婦で祈り、一年間いわきで奉仕を続け、15年から郡山聖書バプテスト教会に着任した。

震災支援活動を振り返り、痛感したことは、支援する人へのケアも重要であること。「支援する人も心にダメージが残る。被災地支援活動は多くの人が初めての体験となる。支援する側もあらかじめ、心の備えが必要だ。私自身も支援活動の中、公私において周りの人を傷つけてしまい、自分も傷つき、もう立ち上がれないと挫折のような経験をしました」

「数えきれない方々と接し、自分自身が変わった」とも話す。「しかしイエス様は変わらなかった。倒れそうになってもイエス様はずっと助けてくださり、結婚にまで導いてくれた。本当に神様は想像を超える方。福音は本当に自分にとって必要なものであるし、被災された方々にとっても必要なものなのだと10年を通して強く思いました」

福島に関して言えば、「原発の問題はいまだ終わっていない」と実感する。「10年たってもまだ『復興』の途中であり、『復興』とは何か考えさせられています」

「震災後福島で生まれた4人の子どもたちは希望」と語る。「長女はいわきで生まれ、今年小学校に入学した。近隣やPTAなどのつながりを通し、この地で家族で共に生きていく、それだけで神様の証しとなるのだと思わされた。支援活動でも学んだことだが、支援する側、される側ではなく、共に生きる、隣人となるということが大事ではないか。そこに教会の存在意義、クリスチャンとして生きる道があるのではないか」と述べた。

「震災を通して、世界と日本、教会と教会、クリスチャンとそうでない人、の三つの壁が崩れたと言われる。今も海外や国内の遠くの教会が祈ってサポートしてくれる。震災だけではなく困難を感じる人はたくさんいるはずだ。待つだけではなく、教会の方から地域の人たちのところに出て行くことができればと思う。コロナ禍は試練だが、このような時こそ神にあって前進し、地の塩、世の光となっていきたい」と勧めた。 (第三部終。次回から第四部になります)

(2021年8月22日号掲載記事)