牧師として特にこの数年関わった方々から受ける印象ではあるのですが、たぶん現代社会に生きるキリスト者が抱えている悩みの一つは、「神を実感することができない、だから自分には信仰がないのではないか」というものではないか、つまり、タイトルのように、少なくないキリスト者が「信じても苦しい」と感じているのではないかと思われます。

著者は本書において「その信仰が見えなくなってしまうのは、信仰の出発点が『自分』だからだ」と指摘、「“自分の力で信じる”という自分からの出発」と、「“その事実を受け取る”という受け身の姿勢(神からの出発)」の違いにきづく大切さを説いています。

その信仰の歩みの中で、だれもが取り組まなければならない(もしくは、取り組みたい)「弱さ」や「闇」、「ありのまま」などを取り上げ、「どうすれば」という解決方法ではなく、「なぜ」という問題の本質へと私たちを向かわせる内容ともなっています。

また、本書の各章は心の王座(中心)にどっかりと腰を下ろしている自分の存在に気づき、神にそこに座っていただくプロセスをゆっくりと、そして、「神主導の道」へとしっかりと導いています。さらに信仰者が抱いている「信仰を持てば、持っていれば」の後に続く、さまざまな思い込みから読者を解放してくれる内容です。
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必要以上にうまくいくことやわかりやすさが求められる今、「思いどおりではない」「わからない」がもたらすもの、そこから広がる世界の豊かさ、神に信頼し、ゆだねて、神から受け取り続ける歩み、神から始まる新しい人生の確かさを示してくれる、コロナ禍の今だからこそ、じっくりと読みすすめたい一冊です。

「教会にも、このエンジンを止める時が必要です。そして、耳を澄まし、神を待ちのぞむのです。……そこで私たちの思いをはるかに超越した神を“理解する”のではなく、その神と“出会う”のです」
評・永井信義=東北中央教会牧師

信じても苦しい人へ 神から始まる「新しい自分」
中村穣
いのちのことば社、1,540円税込、四六判

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