「いのちの電話」50周年 その歩みと展望を聴く 「言葉」以前の「心」が試される
1971年10月1日に日本で始まった「いのちの電話」は今年で活動50年となった。東京から始まったこの働きは、2020年現在全国50センターで約6千人のボランティアがかかわる働きに広がった。コロナ禍では相談ニーズが高まる一方、相談員の勤務が難しいというジレンマを抱える。東京いのちの電話の末松渉理事長と郡山直事務局長に今までの歩み、現状、課題を聞いた。
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71年10月1日午前0時に東京でいのちの電話の働きが始まった。「最初はスタッフも不安だったようだが、始めたら電話が鳴りやまない。目には見えなくても、社会の中で一人悩み、苦しむ人が非常に多くいるのだと実感した50年でした」と末松さん。
いのちの電話は、ドイツ人ルツ・ヘットカンプ宣教師を中心に働きが始まった。ヘットカンプ宣教師は、戦後、東京周辺で、根無し草のような生活をする若い女性たちの救済のために来日し、人生の危機に直面し孤独を抱える女性たちの希望に通じる門しての「東京望みの門」で働いた。その働きが孤独を抱えた人たちにかかわるようになった「いのちの電話」の始まりである。
電話相談事業は53年に英国で始まった『サマリタンズ』を皮切りに国際的に広がっていた。ヘットカンプ宣教師は56年に始まったドイツの電話相談事業『テレフォンゼールゾスゲ』を知っていた。「いのちの電話の立ち上げには様々なクリスチャンの方々がかかわっていた。サマリタンズはクリスチャンが始めたが、特定の信条にかかわらず活動する相談事業。オーストラリアにあった宣教中心の電話相談事業『ライフライン』も参考にしたと聞きます」
73年にいのちの電話は、電話相談事業として初の社会福祉法人認可を受けた。日本にいる外国人などのために「東京英語いのちの電話」も始まった。75年には5団体で全国組織「日本いのちの電話連盟」が結成された。
医療などの専門家と連携する取り組みも進めた。72年には、医療との連携でボランティア医師による電話医療相談事業が始まった。現在も土曜医療相談としてカトリック医師会、キリスト者医科連盟などの医師によって続く。75年には精神科医など専門家によって、「精神科・心理面接相談事業」も展開した(2003年まで)。聴覚・言語障がいの人のためには、ファクシミリ相談事業(11年まで)、06年にはインターネット相談事業を始めた。公益社団法人青少年健康センターなどのように、独立した働きもある。
相談事業のノウハウを生かし、大学などでコミュニケーション講座も開いている。「相談をしていると、何が心を通わせるかが分かってくる。人としてどれだけ相手を分かろうとするか、誠実さが大事。独りぼっちの人に、良き隣人となるかかわりが大切です」
相談者として気を付けるべきことは何か。「電話を受ける前に、養成講座を1年半の間受けてもらう。相談を妨げるものが自分の中にないかを自覚できているかどうかが大事。上から目線になっていないか。逆に卑屈な態度をとっていないか。まず自分に向き合ってもらわないといけない。相手の心を受け止めるゆとり、オープンさがあるかどうかが大切。定期的な見直しや学びが重要で、相談員は月一回のグループ研修の参加を必須とします」。
昨年以来コロナ禍の影響は大きい。郡山さんは「昨年前半の相談内容は半分以上がコロナに対する不安や恐怖だったが、だんだんとコロナを前提としつつ、失業、家庭内暴力、障害者が地域サービスを受けられない、といった具体的な悩みが増えた。いずれにせよ、コロナ禍以前からあった孤独、人生の不安は変わりません」
インターネット相談や青少年に特化した相談事業など様々あるため、青少年の電話相談は減っている。介護、老後といった悩みが増えているといった傾向は見えている。
(末松さんはさらに、電話ならではの利点と困難な現状を語ります。2021年10月17日号掲載記事)