2020年「公務員の処分量定を問う公開質問状」に関わり書きたいと思います。質問状は、当時元検事長の常習賭けマージャンという刑法違反への「訓告」と報道され、これと、「君が代」斉唱時の不起立不伴奏という教員の良心への「懲戒」を比較して公平公正を問いました。

 

参考→ 賭け麻雀で「訓告」 日の丸君が代で「懲戒」 「公務員処分に不公平」教員ら公開質問状 2020年7月12日号

きっかけとなったのは「君が代」不起立で戒告処分を受けた一教員の「うちら教員が常習賭けマージャンをしたらどういう処分になるのか?」という疑問でした。「訓告」で済むはずがないとの確信が、呼びかけ人の被処分者6人に共通しました。

その一人の元東京都特別支援学校教員・根津公子さんは、「君が代」不起立による処分で最も重い停職6か月を3度にわたり受けて、次は免職を覚悟しなければなりませんでした。

そのうち07年と09年の停職6か月については、控訴審で逆転勝訴しましたが都は上告審を求めました。21年最高裁は裁判官全員一致で都の上告審棄却を決定、根津さんの09年停職6か月処分取り消しがようやく確定しました。

記者会見資料の中で根津さんは不起立について次のように述べています。「『日の丸・君が代』を実施するならば学校は、『日の丸・君が代』の意味や歴史を、事実をもとに教えるべきで、その学びと思考の中から、子どもたちが起立する、しないを選択できるようにすべきです。私は教員として、教育に反する行為に加担することはできず、『君が代』起立を拒否したのです」

6人の中で最も軽い「訓告」だった私は、「訓告」を受けたリボンを通して子どもたちに「決して強制はされない、皆の自由は憲法に保障されている」と伝えようとしたこと。それは「君が代」を決して弾けない私として譲れないことであり、前検事長の刑法に抵触する行為と同列同罪にすることに黙っていられなかったこと、などを伝えました。

不服従の思いは6人様々でしたが、他の呼びかけ人と私の大きな違いは私が軽い訓告止まりで懲戒処分を受けていないことです。それは私が「君が代」を弾かない音楽教員を続けることを優先させて、斉唱時に起立してきたからです。

 

加害の歴史を繰り返さない

根津さんとドキュメンタリー映画「私を生きる」上映会でご一緒しました。免職が心配された卒業式で、「一度立ったが心臓がバクバクして座った。もう少しで生徒たちに銃の引き金を引くところだった。引き金を引かなくて本当によかった」と語る映像を観て、根津さんにとって「君が代」起立は本当に銃の引き金を引くことなのだとようやく理解しました。

 

同時に、免職を覚悟して不起立を続け、列の一番前で最も攻撃される根津さんの後ろにいて、私は「君が代」不服従を続けることができたのだと気が付きました。根津さんを独りにして苦しませ、闘う仲間を犠牲にしてきたのでした。

この加害の認識はたいへんつらいものでした。思えば、戦後の日本の国が再び誤った方向へ向かっているのも、加害の認識を避けて無かったものにしているからではないか。誰かを犠牲にしなから大義名分を掲げ起立してきた私も、戦争を推進する一人ではないのか。そう気付いた時には「ああ」と顔を覆う思いでした。

根津さんは、日中戦争で中国の人々に向け銃の引き金を引いたかもしれないお父様に思いを馳(は)せていました。私の父も、インパール作戦に参加し捕虜となった収容所で天皇に頭を垂れる「宮城遥拝」の号令をかけました。

(佐藤氏は自らにも関わる「戦争責任」について考えます。2022年2月6日号掲載記事)

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