石巻市から太平洋に突き出す牡鹿(おしか)半島。リアス式の入り組んだ地形には多くの漁港が形成されている。東日本大震災の津波では甚大な被害を受けた。

キリスト教会はなかったが、キリスト者の支援が継続している。今年3月には関係者で改めてこの地域の宣教協力を話し合う。

「様々なクリスチャンのチームがあるが、かかわる人が重なっていることもある。お互い情報交換し、協力関係が築かれればと願う。またかつて石巻に来てくれたボランティアが再び来てもらう呼びかけもできれば」と趙泳相さん(石巻オアシスチャペル牧師)は話す。教会形成が視野に入った動きもある。【高橋良知】

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震災後、初期から関わり続ける岸浪市夫さん(保守バプ・イエスキリスト栗原聖書バプテスト教会伝道師)は、運営する会社の従業員の親せきがいた牡鹿半島とつながった。現在も週2、3回通う。「地域の住宅が再建したのは震災後7、8年目から。ずっと仮設にいた人は、『震災からまだ1年くらい』と話していた。今も震災から3、4年の感覚だろう」と人々の実感を思いやる。

出会った人の中で、信仰を周りに言わないが、聖書を読む中で自覚が出る人もいる。「霊的に赤ちゃんから子どもになる段階。やがていっしょに教会を建て上げることができたら。支援から、交わり、信仰の成長、教会の形成というテーマが見えている」と期待する。

 

コロナ禍で県外からのボランティアを呼ぶのが困難だ。大きなイベントは避けて、一軒一軒回る活動を継続する。

人口減少地域だ。15年から半島にかかわる藤嶋光男さんは、「私が来た時に3千人いた住民は21年には約2千200人になった。住所を移さず進学などで離れた人もいるので、実際に暮らしている人はさらに少ないだろう」と話す。病院、商店なども限られ、高齢になると、市街地に住む子どもを頼って引っ越す人たちもいる。

小澤倫平さん(渡波キリスト教会代表)は16年まで牡鹿半島を中心に活動していたが、教会の責任を担ってからは半島近くの渡波地域に活動の拠点を移した。また、毎年海外ボランティアが夏の奉仕に渡波を訪れていたが、コロナの関係で20年以降漁師支援の活動は中断している。「実際この地域でも半島出身者だったり、仕事を半島でするなどかかわりのある人は多い」と話す。

市街地寄りの湊地区で牧会する趙さんも、震災後、半島にかかわり、教会に半島関係者が集う。2年ほど前から半島に教会を建てる祈りを始めた。

 

「牧師、伝道師だけでなく、信徒が自ら証しすることが大切になる。半島を訪問する時は信徒数人とともに出かけます」

3~5月はワカメの収穫時期。近辺から多くの人が来る。藤嶋さんはもともと、センド宣教団の宣教師として日本に派遣され、東京で教員をしていたが、15年に震災支援のため移住。

夫婦で作業を手伝い、顔見知りになり、地域との関係を深めてきた。「妻の母が高齢で介護のために実家と行き来していて、今年からは基本的に私ひとりで活動をしている。1月から地域の中学校の教員補助として入り、教員や生徒、保護者らとの関係もできています」

藤嶋さんが心掛けているのは、「ライフスタイルミニストリー」。「一方的に聖書のことを語るのではなく、普段の接し方が大事。子育て、夫婦関係など、悩みを語り合う中で、聖書がどのように語っているか分かち合うことができるときもある。相手を伝道の目的や対象としてではなく、友人として付き合うことが大切になります」

「根強い迷信、風習がある。いろんな神観をもつ人がいる。時間はかかる。私自身も40歳で信仰を持ったので、気持ちは分かる。しかし神様は私を変えてくれた。ほかの人も変われないことはないと思う。ぜひ人々に霊的な飢え渇きが起こるよう祈ってください」

地域の人間関係にも注意がいる。漁師どうし、漁港どうしで「ライバル意識」があり、いっしょに集まることが難しい場合もある。岸浪さんは「ある50軒くらいの集落では、神社が7つある。それぞれ自分たちが管理していることにプライドをもっている」と言う。「神観も『何をくれるのか』というものが多い。だからこそ、聖書の神のアガペ(無償の愛)を示していくのが大事です」。

趙さんは「私たち宣教師は浜のニーズに応え、外からかかわれる。一軒一軒の訪問とともに、公同の教会という意識が大事になる。マルコ16章マケドニアの叫びに使徒たちが応えたように、半島の叫びに応えたい」と語った。

クリスチャン新聞web版掲載記事)