宣言から100年 水平社博物館がリニューアル 世界の差別される人々に希望
写真=荊冠旗。水平社博物館蔵
“人の世に熱あれ、人間に光あれ”
「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。」
「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」
1922年3月3日、京都市公会堂で開かれた全国水平社創立大会で、高らかに宣言された「全国水平社宣言」。この日本初の人権宣言が宣布された日から100年がたつ。水平社発祥の地である奈良県御所市柏原の水平社博物館が、3月3日にリニューアルオープンした。
明治政府が「解放令」を出したのは1871年。これにより法制度上の差別はなくなったが、人の心に植え付けられた偏見、差別がなくなることはなかった。差別してきた側の同情や、部落民の責任で生活改善を行うことで差別がなくなるかといえば、それがいかに難しいことであるかは、当事者がもっともよくわかっていた。
部落差別撤廃を自らの手で行おうと、全国水平社の創立に立ち上がったのは、同地で生まれ育った阪本清一郎、西光万吉、駒井喜作ら被差別部落の若者たちだ。
「柏原の三青年」と言われるこの3人によって灯された部落解放運動の火は、またたくまに全国に広がり、翌年の23年末には全国に300近い数の水平社が設立された。
その中には、部落差別の上に女性差別にも苦しんでいた女性たちによる、女性の権利確立を訴えた婦人水平社、また学校での差別の糾弾、改善を呼びかけた全国少年少女水平社がある。
シンボルとして掲げられたのは「荊冠旗」=写真上=。差別社会を表す暗黒の中に、十字架のキリストがかぶせられた荊冠が血の色で描かれた。
全国水平社創立宣言のニュースは海外でも注目された。欧米の新聞は、日本における初めての人権宣言と報道し、23年9月発行のアメリカの「The Nation」では宣言全文の英訳が紹介された。
朝鮮の「東亜日報」は、同年3月22日の社説で「荊冠旗」について「彼らの一千有余年にわたる骨髄にしみた受難をあらわし、地下に呻吟する幾千万の祖霊をとむらう血戦に殉じることを意味する」と、報じた。(水平社博物館解説シートNo. 12より)
奈良県御所市の水平社博物館
大正デモクラシーの時代、社会、文化、政治のあらゆる分野で自由主義的思想の花が開いた。全国水平社創立の22年は、キリスト者で社会運動家の賀川豊彦らによって日本農民組合が結成されている。
23年には日本植民地下の韓国で、被差別身分の人々の解放を目指す「衡平社(ヒョンピョンサ)」が創立された。被差別民の解放という目的を同じくする両社は交流を深め、衡平社は28年の第6回全国大会で、水平社との連帯を決議した。
水平社は戦時体制下の42年に自然消滅という形で終止符を打つ。戦後46年に部落解放全国委員会を発足して運動は再出発した。これが現在の部落解放同盟の前身となる。
2016年に水平社博物館が申請していた「水平社と衡平社 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」の、ユネスコ・アジア太平洋地域「世界の記憶」の登録が決定された。支配と被支配の国の人々が、国境や政治を越えて人権のために手を携えた証しが、今も差別に苦しむ世界の人々の希望になった。【藤原とみこ】
(クリスチャン新聞web版掲載記事)