2022年3月20日号
「日本ナザレン教会第一回年会」

二人の女性宣教師により
宣教と神学教育とに注力する

 

日本ナザレン教団のルーツは、『日本ナザレン教団九十年史』によれば、「一九〇五年 (明治三十八年)、ミス・ルルー・ウイリアムスとミス・リリアン・プールは、『キリストのホーリネス教会』の援助により来日し、東洋宣教会に所属して東京に於ける二年の奉仕後、一九〇七年十二月京都で日曜学校を開いた。」(23頁)という二人の女性宣教師に始まります。

 

その3年後、「一九〇八年(明治四十一年)十月、『キリストのホーリネス教会』と『ナザレン教会』との合同に伴い、二人はナザレン教会の外国伝道局に受け入れられ、日本ナザレン教会最初の宣教師と」(同上)なります。

その後、「一九一五年(大正四年)一月、パサデナ大学の神学部を卒業した喜田川広師はⅠ・B・ステープルス師夫妻と共に帰国、郷里熊本で伝道を開始し、その年三月、ナザレン教会機関紙『生命の路』を発行した。

そして四月の復活節には京都よりハンフレー師を招き、十八名の洗礼式を行い、この人たちをもって日本最初のナザレン教会が組織された。その後、四軒長屋を借りてそれぞれを、喜田川師の住まい、ステープルス師家族の住まい、学生寮、集会室として聖書学校を開設した」(同上)。

「一九一六年(大正五年) 二月、ハンフレー師に代わってW・A・エコール師夫妻が来日し、帰国した諫山修身師と共に京都新京極で伝道館を開設した。五月には大牟田、久留米で伝道が開始された」(同24頁)

このように、日本ナザレン教団はアメリカでのナザレン教会の成立と並行するかたちで、アメリカからの宣教師たちと共に、喜田川広師、諫山修身師、永松幾五郎師によって、教会と神学校とを併設するかたちで始まりました。

そして、早くから「日本宣教は日本人の手で」(同24頁)という監督の言葉もあり、それまでの宣教師主体の宣教から、日本人指導者による日本宣教が行われるようになりました。

日本ナザレン教団は、当初から教団主体の聖書教育による独自の神学校を備えて、宣教と同時に、神学教育に力を入れてきました。そして、熊本での最初の神学校は、次に教団本部が京都に移転するのに併せるかたちで、京都の本町教会に移されました。


その後、大正から昭和にかけてナザレン教会が成長していく過程において、他の教団教派と同様に、第二次世界大戦の影響を受けるようになりました。

「日華事変が起こると、藤原師、加来師、続いて宮本師(名古屋)、長坂 師(久留米)、三枝師(福岡)、清水師(伏見)等若い牧師たちは召集され、戦地に駆り出された」(同27頁)とあります。

また、「一九三九年(昭和十四年)四月、喜田川広師と喜田川四郎師は支那(当時の呼称)のナザレン教会を慰問した際に当地の伝道の必要性を痛感し、喜田川四郎師、上松武師、藤原忠志師、宮田浅雄師を、それぞれ蘇州、鎮江、上海、崑山に派遣した」(同27頁)とあるように、戦時中における宣教の在り方にも多分の影響を受けました。

その後、「宗教団体法」の変化と共に、日本ナザレン教団は日本キリスト教団第八部会へと編入され、「日本ナザレン教団」という名称は一時的にでも歴史上、姿を消すこととなりました。

 

戦争の中をキリスト者として
アジアでの謝罪・和解と「沖縄平和宣言」

 

『日本ナザレン教団百年史』によれば、「一九三〇年代には、日本政府は、日本のナザレン散会の牧師をも戦地に招集した。

その結果、ナザレンの牧師たちの中には、戦死した者も傷ついた者もいた。一人の牧師が証しを送ってきた。

 

『泥まみれの塹壕(ざんごう)においても、神の恵みは私の心の中にあった。戦いの最中でも私の魂は神と共に交わり、御言葉の中に霊的な祝福を求めた。他の牧師たちは、祖国における軍事工場にかり出されていた。このために、各個教会の会衆を牧会することは容易ではなかった。ナザレン教会は、国家の中国への侵攻および戦争を支持していた。この国家への忠誠は、教派への忠誠を上回ったと言っても過言ではない』」とし、当時の「日本の教会にとっての緊急課題は、教会員が神社で拝礼するかどうかということであった。

 

多くのキリスト者にとっては、政府への忠誠のしるしとして、宗教心を貫くよりも一市民として自分たちが政府に反対していないということを公に告げ知らせることが必要であった。あるキリスト者は、…中略…手紙で、私たちは、そうしろと言われたから、神社に行き、帽子をとり一礼をすべきでしょうか。しかし、心の中ではそれに憤慨しています。なぜなら礼拝心は何もないのです。こういう私たちは、それでもキリスト者と言えるのでしょうか」と問いかけています。


その後、(前述書)「一九四五年八月の第二次世界大戦敗戦を機に、新たな歴史が芽生えた。同年、疎開地から戻ってきた人々によって、…中略…伝道が開始された。一九四七年六月、京都・本町教会において、『日本ナザレン教会再建会議』が旧ナザレン教団の牧師たちにより開催され、日本基督教団離脱を議決した。

再建された日本ナザレン数団は、一九四七年十一月十四日、京都で第一回年会を開催し、総理にW・エコールを選出した」。

第二次大戦後の日本ナザレン教団の歩みは、それまでの個人的聖化から社会的聖化への歩みでした。

それが世界における「ナザレン教会」という限られた範囲ではありましたが、1995年には、日本ナザレン教団は韓国部会、台湾部会、アジア・太平洋地区に代表者を送り、謝罪と和解を得る取り組みを行い、その一環として『平和を生きる』という小冊子を作り、神学校教育においても、これを利用するに至りました。


しかし、日本ナザレン教団は、それですべてが解決したと考えるのではなく、戦時中における日本本土の沖縄の人々に対する抑圧の歴史を真摯に受けとめ、2015年に開催された「全国教職セミナー」を沖縄で開催し、またここでの学びを通じて、その総括として、全国牧師会は「日本ナザレン教団 沖縄平和宣言」を採択し、今日も、毎年8月には「沖縄平和宣言」を全国のナザレン教会に送付すると共に、ナザレン教会がこの日本において、ただ個人的な聖化に留まるのではなく、日本において平和を実現する聖化教団であるとのアイデンティティを覚え、福音宣教に取り組む教団として、活動しています。

日本における平和の実現を考える時に、沖縄県が抱えている問題は最も重要なものであると認識すると同時に、これが一地方の問題ではなく、日本という国家規模の罪であり、この悔い改めこそが大切であると理解する事にあります。この平和宣言の一部を引用します。

「④私たちは日本国憲法の平和主義こそが世界の平和を実現するための道標となることを信じ、教会の働きと交わりを通して、全世界の教会に、軍事力によらない平和の道を共に作り、共に歩むように呼びかけ、働きかけます。⑤私たちは牧師として、聖書が指摘する平和を教会の内外において宣べ伝え、祈りつつ行動します」

 

社会的聖化の信仰で日本宣教200年を目指して

 

男性信徒による主体的な活動が行われると同時に、全国では「連合壮年会」を組織し、同委員会が主体となって全国大会が2012年、2017年と行われました。

また、女性信徒よる活動もあり、以前は「婦人会」という名称でしたが、時代の流れに応ずる形で「女性会」と組織名を改称し、全国組織となる「連合女性会」が主体となる「全国女性大会」と地域ごとに実施される「ブロック大会」が交互に行われ、地区・全国での貴重な交わりの機会としています。

さらに、若手牧師の指導による青年たちの活動も続けられており、「Nazarene Youth International(連合青年会)」を組織し、全国大会や近年では、「Nazarene Youth Worship Conference」が2018年、2019年に開催されました。

また2020年には「連合壮年会」「連合女性会」「連合青年会」の合同開催による「ナザレン合同全国大会」が企画され、テーマ「キリストにあってひとつ|One Body, One Sprit, One Hope|」のもと、3年がかりで450人規模の大会を神戸にて準備しました。しかし、コロナパンデミックによって、対面大会は中止となり、2020年予定日にオンライン大会として配信しました。

 

現在もYouTubeにて視聴が可能です。その後、2021年に次世代育成の「全国ティーンズ キャンプ」をYouTubeとZoomを併用するかたちで実施し、このコロナ禍における新しい宣教の取り組みが進められています。

日本ナザレン教団の目黒教会と本部、日本ナザレン神学校を併設する本部ビルは2011年の東日本大震災において被災し、日常的な使用において問題が発生する状況でしたが、全国のナザレン教会からの献金も献げられ、年会での決議によって、本部ビルの改修工事を行うことになりました。

 

この工事は複数年にわたるもので、耐震補強などにも力が入れられ、2019年1月23日には、「完成感謝礼拝」が守られ、今日においても、全国のナザレン教会の心臓部とされています。

また、日本ナザレン教団は、全国のプロテスタント教会においても少ない、教派神学校を備える教団であり、それは日本におけるナザレン教団の歴史のはじまりから一貫して守られてきています。

昨今、あちこちの神学校において献身者の減少が言われていますが、日本ナザレン神学校では、未来の日本ナザレン教団を支えていく教職の育成を全教会をあげて、教団として行っています。

教授陣についても世代交代が行われ、新しい時代に向けた、新しい息吹を感じるようになりました。
コロナ禍にあって、対面で授業を行うことができないことを受け、いち早くオンラインでの対面授業を実施し、遠隔での神学の学びを行うと共に、授業の一部をオンライン形式で、有償で公開する事にも取り組んでおります。
新しい時代に、新しい福音をもって、日本宣教200年を目指します。

 

日本ナザレン教団

本部事務所=東京都目黒区青葉台4‐7‐6
電 話=03・3466・2416
FAX=03・3466・6719
ホームページ=https://www.nazarene.or.jp/

 

略年表
1905年 2人の女性宣教師により東京で宣教開始、その後京都へ

1915年 熊本で初めての日本ナザレン教会と聖書学校を開設

1922年 日本宣教部会を設立(第1回部会を実施)

1923年 京都本町に本部を移転
1931年 聖書学校を京都本町教会に移転
1936年 西部自治部会、東部宣教師部会の2部会制をとる

1941年 日本基督教団第8部会に合流
1947年 日本基督教団を離脱し、「日本ナザレン教団」を再興

1950年 本部、神学校を京都から尾山台に移転

1967年 本部を、尾山台から目黒に移転
1970年 神学校を目黒に移転
1995年 戦争責任告白採択と謝罪訪問
『平和を生きる』を出版
2007年 宣教100周年記念大会
2015年 全国牧師会「沖縄平和宣言」採択

クリスチャン新聞web版掲載記事)